沿革
商学部・大学院経営学研究科の沿革
商学部は、明治13(1880)年、大阪市民によって設立された大阪商業講習所の流れをくむ学部で、すでに創立以来140年をこえる歴史をきざんできました。その間、市立大阪高等商業学校、旧制大阪商科大学をへて、昭和24(1949)年に新制大阪市立大学となり、商学部という名称はこのとき生まれました。昭和28(1953)年には大学院経営学研究科を設置し、名実ともに最高学府としての陣容を整えています。
本学の創設にあたり、当時の大阪市長関一は「国立大学の『コッピー』であってはならぬ」と述べましたが、これは今も本学のモットーとなっています。
明治13(1880)年
商学部の源流である「大阪商業講習所」は、「近代大阪経済の父」とも言われる五代友厚をはじめ、当時の大阪財界有力者16人によって創設されました。五代は「欧米先進国と対等に渡り合うには、商人にも学問が必要」と説き、東京に次ぐわが国2番目の商業学校「大阪商業講習所」を設立したのです。
明治22(1889)年
大阪商業講習所はその後、市制特例による大阪市制の発足に伴い、「市立大阪商業学校」へと発展しました。堂島に完成したルネッサンス様式の近代的な新校舎からは、後の大阪財界を代表する人物を多数輩出しています。
明治34(1901)年
日清戦争終了後の不況のさなかにもかかわらず、「市民自身の手で高等商校を」という大阪市民・同窓生の熱意により、明治34(1901)年、市立大阪商業学校は「市立大阪商業高等学校」へ昇格しました。日露戦争、北の大火を経て、「烏ヶ辻・烏丘時代」が築き上げられました。この烏ヶ辻校舎から、後にわが国初の市立大学となる「大阪商科大学」が誕生するのです。
昭和3(1928)年
関市長をはじめ、同窓生及び大阪市民の十年間に及ぶ熱心な昇格運動が結実し、単科大学ながら学部・予科・高商部の三位一体構成を特色とする「市立大阪商科大学」が烏ヶ辻校舎にて誕生しました。河田嗣郎初代学長のもと、各地から優秀な教員スタッフが次々に集められ、杉本町に新学舎が建設されました。
昭和24(1949)年
第二次世界大戦後の学校制度の大改革により、大阪商科大学、大阪市立都島工業専門学校、大阪市立女子専門学校を統合し、昭和24(1949)年に、新制総合大学である「大阪市立大学」が発足し、商学部は、経済学部とともに大阪商科大学を源流とする学部として、その伝統を受け継いでいます。本学は大阪市立大学創設時から、恒藤恭初代学長の考えにもとづいて、一般教養科目と専門科目教育の有機的結合を重視してきましたが、平成6(1994)年に新教育課程に移行し、この理念を一層明確にした教育体系を確立しています。
平成13(2001)年
大阪市立大学は大学院大学へと移行し、商学部主体の体制から大学院経営学研究科主体の体制へと移行しました。また2002年度から、商学専攻・経営学専攻の2専攻体制から、グローバルビジネス専攻のみの1専攻体制となりました。
平成30(2018)年
商学部では商学科に加えて新たに公共経営学科を設置し、1学部2学科体制となりました。大学院経営学研究科前期博士課程では新たにアジア・ビジネス研究プログラムを開設しました。
令和4(2022)年
大阪公立大学の発足に伴い、商学部・大学院経営学研究科は大阪府立大学現代システム科学域マネジメント学類・大学院経済学研究科経営学専攻の経営・会計分野と融合し、さらなる拡充が図られました。