卒業生訪問
2023年10月25日
木造建築の現場から研究へ|和田 央(木質構造設計士)
大阪市立大学大学院で2年間建築構法の分野を学んだ和田 央さん。
大学院を修了後は、国内大手の木質材料メーカーである銘建工業の木質構造事業部設計部で活躍されている。
学生時代から一貫して木造建築に興味を持ち、研究での学びを実務の中で活かしながらさまざまなプロジェクトに携わられてきた。
銘建工業本社(岡山県真庭市)に訪れ、学生時代から現在にいたるまでの話を聞いた。
小さな頃から身近にあった建築
――まず、建築の道を志したきっかけをお聞かせください。
和田 祖父が大工をしていて、昔から一緒にホームセンターに行って犬小屋を作るなど、小さな頃からものづくりとは自然と近い関係ではありました。それと、幼稚園の時に実家が建てられたので、自分の家ができた感動から建築に対しての興味もありました。そういった環境だったので、よく落書き帳に間取り図を描いて遊んでたりしてました。なので、大学も建築学科を受験して、地元の中部大学の建築学科に行きました。
――大学で建築のどういった部分に興味を持ち、研究室を選ばれましたか。
和田 設計課題が好きでした。自分で模型を作っていくのが楽しくて。当時中部大学に在籍していた石山央樹先生の授業でも、1枚の合板から椅子を作るっていう授業があって、そういった自分でいろいろと考えて何かを作るのはずっと好きでした。なので、最初は意匠をやりたくて建築学科に入学したんですが、周りの能力が高い人と自身とを比較していく中で、意匠に進むのは厳しいなと思いました。そんな中、石山先生と出会って建築構法というニッチな世界に興味を持ちました(笑)。
構造力学の授業も好きだったので、実際に橋を作って壊す実験や、タワーを作って振動台で揺らす実験などを石山先生が授業でされており、そういったものが楽しいなっていう印象はありました。それと、先生の人柄から「この先生についていくのはいいな」と思ったので、建築構法の研究室を選びました。
和田さんが学生時代に石山先生のゼミで制作した合板椅子。3×6板1枚から切り出して制作したもので、背もたれ部分が折りたためるようになっているところがこだわりポイント。(画像提供:和田 央)
新たな環境での研究活動
中部大学時代、和田さんの担当教員だった石山先生は、2018年から大阪市立大学の勤務になりました。その後、和田さんも大学院を受け直し、2019年から大阪市立大学大学院に入学します。
――石山先生が大阪市立大学に行かれたことを契機に、和田さんは中部大学大学院から大阪市立大学大学院へと大学院を変えられましたが、環境を変えることに不安やとまどいはありましたか。
和田 学生生活のことだと、愛知では実家暮らしだったので1人暮らしの不安はありました。それと、関西弁はきつい印象があったので、そういった不安もありました。また、学部時代にできた絆が既にあるところにうまく入っていけるのかという不安も結構ありました。
研究室に関しては、市大は建築計画と建築構法が一つの研究室になっているので、計画系の研究室に入って、ついていけるのかなという緊張はありました。なので、しばらく意匠設計からは離れていたんですが、休学中に友達と一緒にコンペに応募するなどもしました。
――実際に、大阪市立大学に来て苦労したことはありましたか。
和田 当時、市大では、建築構法の研究の場が整っていなかったので苦労しました。石山先生が市大に来られるまでは、実験の施設も整っておらず、研究をうまく引き継ぐことができなくて……。私の同期や先輩にも、建築構法研究室の学生がいなかったので、最初は片付けから始まりましたね(笑)。
でも、この大学は先生との距離が近く、研究室間の横のつながりも強いため、先生方や他研究室の学生が「なんでも聞いていいよ」と手を貸してくれたこともあり、研究を行っていく中では、何も困ることはありませんでした。
ゼミは、違う研究分野の学生と合同だったので、結構辛いことも多かったですね。発表の時も、構造の用語が伝わらないことがあるので、どういう資料にすると興味を持ってくれるかなど、考えられる場になりました。みんなの研究も、私が今までしてきた研究とはまったく違う分野で、だからこその面白さはありました。建築計画・構法研究室を通じて、ものごとの新しい見方が身につきました。
――あらためて、建築計画・構法研究室の面白さは何ですか。
和田 いろいろなことを実践できて、学べる環境があることだと思います。やっぱり実務の中でしか身につかないものはあるので、学生時代はいろいろなことを学べる環境にいたほうがいいかなと思っています。プロジェクトで海外に行くことやDIYなど、自分で手を動かすことをやってきて、やはりそういったものは良い経験になると思いました。私は学生時代、震災の復興支援関連の研究でネパールに3回ほど行って、違う文化に触れることも経験の一つだなと思いました。
2015年のネパール地震の震災復興プロジェクトで、ネパールの村に訪れた際の写真。現地で調達できる資材を用いて、現地の人々と家具を製作した(画像提供:和田 央)。
研究から実務へ
――銘建工業を就職先に選ばれた理由は何ですか。
和田 これからの木造というと中大規模木造かなっていうイメージがあったので、まずはそれに関わる仕事をしたかったですね。あと、学生の頃から実務に役立つ研究をして、就職してからも研究は続けたいと考えていたので、材料製造や設計、加工、施工といった業務を一貫してできている環境がいいなと思いました。材料よりの研究もできて、実際に建物を建てる時の問題点や設計・施工の課題もわかるし、それらが社内で共有できるのはすごい良い環境だなと思ってこの会社に決めました。
《銘建工業本社事務所》。集成材の斜め格子にCLTによるV型の梁と屋根を掛け渡した架構システムが特徴。
――和田さんが所属している木質構造事業部設計部では、どういった仕事をしていますか。
和田 会社は材料メーカーなんですけど、構造設計の補助も行っている会社なので、構造設計事務所と同じく構造図を描いたり、構造計算などをしています。社内で工事や加工も行っているので、コスト面のことや加工のしやすさなど、社内が動きやすくなるような仕事を意識しています。「こういう材料を使った方が安く済む」「この加工の方が時間短縮される」といったことを考えながら設計できているのは、材料メーカーにいるからだなと思います。
――仕事の中で、やりがいや難しさを感じられる部分は、どのようなところですか。
和田 構造と意匠との葛藤がありますね。やっぱり木を使うからには現したいって思うお客さんが多いんですけど、構造用の集成材を作る側の意見としては、現すと劣化も早くなり危ない。材料メーカーとして、また構造設計者として安全でない使い方はおすすめできません。ただ、意匠の方との話し合いを経てお互いが納得できるような答えを考えていくことが楽しい部分でもあります。
他には、社内の工事部に意匠・構造の複雑な建物を担当してもらう際は、申し訳なく感じることもあります。でも、工場や工事の現場の人からアドバイスも聞けるんです。そこで聞いたことを実践すると、設計図上では少しのことなんですが、その配慮が現場に生きることがあります。工場の人が加工しやすいものってどんなものなのかを考えられるようになったし、実際に加工や施工をされている方の意見を聞くことができるのはいいですね。
銘建工業CLT工場の様子
――これまで携わった中で印象的なプロジェクトはありますか。
和田 今、進行中のプロジェクトなんですが、構造図段階でBIMを取り入れていこうとしています。うまく設計段階から連携させることで、接合部の干渉などを事前にチェックでき、積算や製造加工から工事の社内の仕事をよりスムーズに流れるようにするという取り組みをしています。
今までは、毎回設計図を2Dで書いて、材料加工用のデータを3Dに一から作り直さないといけなかったので、同一物件で相当な労力がかかっていました。それに工事部も、施工図段階で部材や接合部の干渉を見つけることが多かったのですが、設計段階からBIM化を導入することでそういった手間がなくなり、全体の苦労が減るのがいいなって思います。
――木造建築の面白さはどのようなところに感じますか。
和田 木造は日本古来の建物だからこそ過去の経験に基づいて強度が決まる伝統構法が従来では主流だったんですけど、近年は技術的にも構造解析などで科学的に検証できるようになり、法律も改正されてきたという点で、建築構法分野としては新しい領域です。そのため、鉄骨造やRC造とは違って、歴史が浅いからこそ若手が戦っていける分野だと思います。鉄骨造やRC造は、規格や材料などがある程度決まりきっていますが、木造、特に中大規模の木造の歴史は浅いので、若手の私でもいろいろな意見が言える領域だと思います。まだ、市場が大きくないからこそ、専門家として意見を出すことができ、それが世の中の役に立っていることを実感できることは、やりがいの一つです。
本社で和田さんのお気に入りの場所。都会では感じられない夏の緑や冬の雪景色を、この窓から見ながら仕事に取り組める。
CLT工場でドリル加工の説明をする和田さん
――今後、歩んでいきたいキャリアはありますか。
和田 大学では「木材の耐久性」をテーマに取り組んできたので、耐久性をテーマに課題を見つけて解決したいとは思います。今後、中大規模木造建築が長く使われていく中で耐久性が大きな問題となると思うので、それに対応していけるようにしたいですね。
大学での学びを社会で活かす
――今日は、和田さんの学生時代の恩師である石山先生にも、取材に同行してもらいました。石山先生は、社会人になって活躍されている和田さんを見てどのように感じましたか。
石山 説明が上手になりましたね。学生は後輩に説明する時、相手のレベルとか関係なく、専門用語をいっぱい使ってしまう。でも、今日は初めての人に対してわかりやすいように説明ができていてよかったと思います。
和田 ありがとうございます。それは研究室時代に培ったかもしれないですね。学生時代からまったく別分野の人たちがイメージしやすいように言葉を置き換えることは、結構頑張ってきました。質問も出てこないようなゼミだと良くないなと思っていたので。なんとかゼミの中で質問してもらえるように、伝わるように意識していました。そういった経験は今の実務の中でも活きていて、構造図や計算書を作る時も、見る人の気持ちを考え、見やすく作るように心がけています。
石山 逆に学生の時に教えてくれたらよかったなと思うことはないですか。
和田 学生の頃は材料よりのことが多かったので、建物全体の構造のことや鉄骨・鉄筋コンクリート等の木質材料以外のことをもう少し学んでおきたかったと思います。実務の中でも、構造の相談も多いので、構造の基礎知識がないのが悩みというか、頑張りどころだと感じます。全体的な建物としての負荷が今はまだイメージできていなくて、そこで苦労していますね。
石山 今後、社会人10年目くらいになった時に、和田さんが自分のテーマを見つけていて、一緒に研究ができたら嬉しく思います。
和田さんと石山先生
和田 央 わだ・なかば
1996年愛知県生まれ。2018年中部大学工学部建築学科卒業(建築計画研究室)。2021年大阪市立大学大学院工学研究科都市系専攻(建築計画・構法研究室)修了。同年より銘建工業株式会社の木質構造事業部設計部に勤務。木造軸組の福祉施設や保育施設、またCLTを用いた集合住宅などの設計に携わった。
趣味は編み物・キャンプ・旅行
2023年08月24日 《銘建工業本社事務所》にて
聞き手/神田昂奎(都市計画研究室修士2年)、高野慎也(建築学科3年)、石山央樹(建築計画・構法研究室准教授)、西野雄一郎(建築計画・構法研究室講師)
まとめ/神田昂奎、高野慎也
写真/西野雄一郎
編集協力/贄川 雪(外部)