卒業生訪問

2023年12月27日

都市調査から広がる韓国での日々|米田沙知子(都市調査・設計)

大阪市立大学大学院在学中に、韓国の建築に魅せられた米田沙知子さん。
建築学科での出会いや経験をきっかけに日本から韓国へ渡り、現在は韓国の建築事務所「guga都市建築」で、都市の調査活動や住宅や商業施設の設計・改修で活躍されている。
一時帰国し母校を訪れた先輩に、在学時の出会いや経験、現在、そしてこれからについて、話を聞いた

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きっかけは「歴史を学びたい」

――大学、大学院と大阪市立大学で建築・都市について学ばれた米田さん。そもそも、建築に興味を持たれたのは何がきっかけだったんですか

米田 これはちょっと個人的な話ですが。私、宝塚歌劇がすごく好きなんですよ。昔、宝塚好きの友達に影響されてハマっちゃって(笑)。宝塚歌劇の作品には歴史ものの劇が多いんです。それで歴史にすごく興味を持つようになりました。それに、中学校・高校の時の歴史の先生がすごく変わった方で、歴史の授業が本当におもしろかったんです。その先生のおかげで、さらに歴史に興味を持ちました。その先生は「大学で歴史科に行きなさい」と言ってくださったのですが、私は理系科目が好きだったので、理系で歴史も学べる分野を探していました。それで「建築だ!」と思って

当時、インターネットの情報もほとんどない中で、いろいろ調べました。一般的にどこの大学でも建築の歴史の勉強はするけれど、専門の先生がいるところがなかなかありませんでした。そんな中、当時の大阪市立大学の授業に「建築史」の科目があるのを見つけて、「あっ、市大には絶対に建築史の先生がいる!」と思い、ここにしようと、市大一本で受験しました。

――好きなものが重なるのが建築だったということですね。入学後はどうでしたか

米田 入学したら、大学の勉強は私の想像とは全然違いました。市大では、被差別部落の歴史や在日外国人の人権に関する一般教養の授業も多く、それまでの自分がいかに世間知らずだったかを知りました。

また、私はそれまで新興住宅地に住んでいたんですが、小さい頃から小学校への通学路や自分の住む街があまり好きじゃなくて。「なんでこんなに同じような家ばかりのところに暮らしてるんやろう」と思っていました。だから、大学から大阪に来て、「大阪は下町が多くてすごくいいな」と思いましたね。「この多様性は一体何だ」って、すごく衝撃を受けて、もう少し社会のことを学ばないといけないと興味を持ちました。そういう社会そのものについても、市大に来て学んだように思います。

その後、設計演習の授業が始まったら、もう楽しくてしょうがなかった。もともと工作や絵を描くことは好きだったので、夢中になってやりました。研究室配属の時も、市大のデザイン研究室は歴史と意匠設計が一緒になっているから「丁度いいやん!」と思って。どうにか入ろうと頑張りました。

研究室での出会い 「やっぱり、実測がしたい」

――研究室に所属してからは、歴史の調査や研究をされていたんですか

米田 設計にも興味があったし、何より実測調査にすごく興味がありました。研究室の先生だった建築史家の中谷礼仁先生(現在は早稲田大学教授)の当時の研究テーマが「都市は連鎖する」でした。都市というのは、開発前の積み重ねで作られているという考え方で、とても衝撃を受けました。ただ、ちょうど実測調査がない時期で、かわりに難しい内容の文献研究が続いたんです。私はそれが嫌で、「なんで建築学科に行ったのに本を読んでるんや」って(笑)。今思えば、読書はすごくためになっているんですが、やっぱり実測したいなぁと

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建築デザイン研究室で本を見ながら当時を振り返る米田さん。

ちょうどその頃、中谷先生の授業に、韓国の留学生が参加していました。そこで、先生が韓国の都市と大阪の都市を比較する授業を始められました。さらに、建築家の安藤忠雄さんが若手研究者の海外研究を支援する奨学金が中谷先生に給付されることになったんです。それで先生が「じゃあ、みんなで韓国に行って都市調査をしよう!」って(笑)。

それから、授業の前半ではハングルの勉強をしながら地図のチェックを始めました。今はスマホやPCで簡単に、どんな地域のストリートビューも見られますが、当時は道路地図しかなくて苦労しました。それを全部コピーして黒板に貼り合わせ、宅地が道路に変化しているところや、空地に建物が建てられたところなど、気になるところをチェックする作業から始まったんです。なぜこうなったのか日本で仮説を立てて、実際に韓国に行ってみて実証する授業でした。それがすごくおもしろかった。

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実際に授業で韓国を訪れた当時の様子。韓国の乙支路(ウルジロ)というまちを調査する米田さんたち。(画像提供:米田沙知子)

――韓国の伝統的な建築「韓屋(ハノク)」に興味を持ったのはその頃ですか

米田 はい。韓国に調査に行った時に、中谷先生が「都市の勉強をしたいからいろいろ教えてほしい」と連絡を取ってくださったのが、私が所属する「guga都市建築」の所長の趙 鼎九(チョウ・ジョング)さんでした。趙さんは都市の研究をしながら設計もされていました。実際に作品も見せていただいて、韓屋を時代に合わせてリノベーションしたレストランに行ったんですが、そこがとても心地いい空間でした。

それまで設計は好きだけど、私がしたい設計とは何か、ずっとさまよいながら就職活動をしていました。しかしんは、新しいことをしないといけないとか、古いものは絶対に守らないといけないというような型はなく、自分が良いと思ったものを取り入れながら設計をされていた。「あ、建築ってこんなに自由でいいんや」って、その時に初めて設計がしたいなと思いました。この韓国での経験から、ここで働きたいなぁと

――迷いはなかったんですか

米田 もちろん迷いました。韓国に行っても、趙さんの事務所に絶対就職できるわけじゃない。100%なんてないけれど、でもまずは、この地で修士論文を書こうと決めました。この地の韓屋の使われ方や住民の住みこなし方についての論文を書きたい、と。しかしそのためには絶対にここに住まないといけないと思い、韓国で語学堂(留学生が入学前に語学を勉強する学校)に通うために、大学院2年生の後期から休学してずっとアルバイトをしました。

中谷先生にも、「私、このままじゃ論文が書けないと思うので、ソウルに行きます!」って(笑)。中谷先生はソウルに知り合いの教授がいらっしゃったこともあり、韓国の大学への進学をすすめてくださったんですが、私は「座学ではなく実務がしたい」と、そこは自分の意志を押し通して……。「じゃあ、実測しておいで」と応援してくださり、行くことを決意しました。

国での生活がスタート

――とにかく韓国へ行ってみたんですね。そこからguga都市建築で働くまでの経緯と、事務所でのお話をお聞かせください

米田 語学堂に通いはじめて3カ月くらいで、やっとある程度韓国語ができるようになったので、「覚えていらっしゃいますでしょうか?」と、guga都市建築の趙さんにメールを送りました。日本語で書くのは失礼だと思ったので、拙い韓国語で一生懸命書きました。

ちょうどその時、guga都市建築は週に1度、誰でも参加できる「水曜調査」をやっていました。今(※取材当時)は一時休んでいますが、2001年から現在まで1035回続いています。その水曜調査に「私も参加したいです」という旨をメールに書いたんです。そしたら「おいで!」と言ってもらえて参加しました。後々伺ったら、「なんだこの変な韓国語は!」と思われていたみたいですけど(笑)。そこで「gugaで研究をしたい」とお話ししたら、「ちょうどインターンを募集しているけど、来る?」と言っていただけたんです。トントン拍子にタイミングが合って、スタッフになりました。

gugaには、世界各国からインターンの方が来てくれます。今も日本人の子がいるし、在日・在米韓国人で自分の母国の建築を学びたいという方もよく来られます。韓国の中でも都市部だけでなく、地方や済州島などさまざまなところから集まっていて、いろいろな地域の話を聞くことができて楽しいです。

――インターンの時はどんな調査を行ったんですか

米田 インターンの時は、水曜調査をしながら特に気になったところを実測調査しようということで、さまざまな場所の実測をしました。その時に特に力を入れたのが、ソウル中心部にある景福宮(キョンボックン)の西側にある「西村(ソチョン)」という地域の実測調査です。

この地域は朝鮮時代からの路地が多く残っており、ソウルでもとても重要な場所でありながらも再開発予定地域になっていました。私たちはこのまま記録なしに壊されてはいけない地域だと思い、実測調査を始めました。ここの路地は、まっすぐな道がなくメインの道からどんどん北側に枝分かれして派生してできている自然発生的な道で、袋小路になっているところも多くあります。この特徴的な路地の形、建物との関係、路地の使い方などを調査し、それを一つの絵にしようとしました。屋根の形は一つひとつ近くの高い建物に上って調査をし、洗濯物を干している場所や自転車・花壇が置かれている場所などの路地での生活のあふれ方も含め、その当時の路地の使われている姿を表現しようとしました。

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実測した路地と周辺屋根図。茶色い色の路地が1912年以前からある路地で、青色はかつて川だった場所。さまざまな韓屋が密集しているのがわかる。(画像提供:米田沙知子)

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ソチョンの韓屋や路地を再現した模型写真。建物の詳細や道路の舗装、洗濯物を干している人の様子まで再現されている。(画像提供:米田沙知子)

米田 最初は事務所が自主的にやっていたんですが、後にソウル市が再開発を中止し、地域再生計画に切り替えることになり、正式に《地域再生計画のパターンとなる実測及び人文調査》の依頼を受けることになりました。この調査は1年かけて行われて、実際に人が住んでいる韓屋の実測調査をすることができました。

当時、韓屋はほとんど住居として使われていましたが、中には教会で使われていたり、ギャラリーになっていたりなど、韓屋自体のポテンシャルが見られました。実測は、一軒あたり30分くらいでやるものから1日かけてやるものまでさまざまです。いろいろな家に上がらせてもらうことができて、すごく楽しかったです。

はじめに韓国に行った時に韓屋で一番気になっていたのが、外から見えない「中庭」をどう使っているかということでした。韓屋の特徴としてすべてに中庭があるんですが、屋根をつけたり、アトリウムとして室内化しているところもあります。こうして休学中にいろいろな事例を見つけ、その調査記録をまとめたのが修士論文になりました。

――ここまでは韓国での調査について伺ってきました。gugaで携わった建築設計についても教えてください。

米田 gugaの過去の作品に、ヴォールト天井が特徴的な《천리포수목원 플랜트센_Chollipo Arboretum Plant Center》(2017)というものがありますが、今回はその作品を住宅に応用しました。敷地の背後が山なので、すごく風通しが良いんですよ。お施主さんはとても喜んでくれていて、「夏でも全然暑くない!  クーラーをつけなくても涼しい!」と、電話がかかってきました(笑)

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《山南洞住宅》(2023)。敷地の背後の山から庭へと風が抜け、住宅が周辺の自然と呼応している様子がわかる(画像提供:米田沙知子)

米田 他にも、2010年の第12回ヴェネチア・ビエンナーレの韓国館の展示にも携わりました。その時、建築家の妹島和世さんが総合キュレーターをされていて、挨拶に行ったら「日本語がうまいわね」と言われました(笑)。ヴェネチアでは、韓国の大工さんと一緒に韓屋を建てたんです。再開発で潰された古材を使ったり、釘を一切使わなかったり、伝統的な様式で作りました。

また、今回ソウル都市建築ビエンナーレでもパビリオンの設計に参加させていただきました。もともとは2カ月だけの展示だったのですが、市民からの支持を得て1年延長させていただくことになりました。

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第12回ヴェネチア・ビエンナーレ韓国館展示で韓国の大工さんと建てた韓屋。(画像提供:米田沙知子)

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ソウル都市建築ビエンナーレ《Jitda Pavilion》(2023)の様子。太陽や風を取り入れながらソウルの空を感じられる空間が生まれている。(画像提供:米田沙知子)

――とても興味深い経験ですね。そんな米田さんがこれからやってみたいことは何ですか

米田 できれば、guga都市建築の日本支店を作りたいですね。日本でも調査したいと思っています。それに、今も韓国に興味がある人はたくさんいらっしゃいますし、日本でも韓屋みたいな建物を建てられたらいいなと思います。韓屋は中庭がテーマなので、庭とのつながりを感じられる住宅・施設を日本でも作りたいですね。

それと、最近台湾に遊びに行ったんですが、台湾も日本の統治から影響を受けていて、日本に似たような建築が残っています。それでも、同じように統治された韓国の建築とは違っていました。日本や韓国、台湾に限らず、いろいろな国の建築の歴史にまた興味がでているので、見に行きたいと思っています。

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米田さんが台湾に行ったときの実測ノート。建物だけでなく彫刻や家具など、使われ方や歴史を踏まえた米田さんの気づきがまとめられている。(画像提供:米田沙知子)

大生へメッセージ

――最後に、学生にメッセージをお願いします

米田 私は休学も一つの選択肢だと思います。韓国の大学は5年制ですが、多くの学生が休学して海外インターンや旅行をしていますね。可能性の幅は広いから、自分がしたいと思ったことはしてほしい。そのきっかけを作るのも自分だから、できないといって安易に諦めないでほしい。やってから後悔することもたくさんあったけれど、やらないと後悔もできないので、「とりあえず挑戦する」ということが重要ではないかなと思います。

私も韓国に行ってみて、後悔したこともたくさんありますが、だいたいは良かったなと思っています。今住んでいるところもすごく良くて。私の住んでいる街はすぐ横に城壁があり、歴史と一緒に住んでいるなと感じることができて、毎日が楽しいんです。山もすごく近くて自然が感じられるし、自分に合っている都市だなと思っています

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米田沙知子 よねだ・さちこ

1982年生まれ。2001年大阪市立大学工学部建築学科(建築デザイン研究室)入学。2010年大阪市立大学大学院工学研究科都市系専攻(建築デザイン研究室)修了。休学中にguga都市建築でインターンを開始し、2008年より勤務。水曜調査のリーダーとして、《歴史博物館生活文化調査》(2010~2012)、《世運4区域記録化プロジェクト》(2022)等の実測調査に携わる。

主な設計作品に、《12回ヴェネチアビエンナーレ韓国館展示参加》(2010)、《ハソンジェ》(2012)、《天然洞韓屋》(2016)(韓屋大賞受賞)、《河東韓屋文学館》(2020)(韓屋大賞受賞、木造建築大展 最優秀賞)、《済州文学館》(2020)などがある。
韓国でおすすめの場所は、駱山公園(ラクサン)・世運商街の周辺。

guga都市建築

http://guga.co.kr

インスタグラム

https://www.instagram.com/guga_architecture/reels/

2023年07月26日 大阪公立大学建築デザイン研究室にて
聞き手/李 銀芽(建築デザイン研究室修士2年)、吉田智哉(建築情報研究室修士1年)、山口陽登(建築デザイン研究室講師)
まとめ/李 銀芽、吉田智哉
写真/森 龍之介(建築情報研究室修士1年)
編集協力/贄川 雪(外部)