SSSRCだより

2022年10月10日

SSSRCだより特別号

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超小型人工衛星「ひろがり」の運用が終了してから,今月でちょうど半年になります. ひろがりの開発・運用に関わっていた学生がプロジェクトを振り返り,思いを綴りました.

音信不通の7日間

 修士1年の森瀧です.ひろがりにおいて,僕は開発においてはバス部のソフトウェアや開発・運用支援ソフトウェアの開発,運用においては運用責任者,そしてプレスリリースや記者会見,取材対応などの広報活動に携わらせていただきました.ひろがりについて話したいことは山のようにあるのですが,自分にとって一番印象深い「電波が受信できなかった7日間」の話をしたいと思います.

 

 ひろがりは2021221~22日にかけてロケットによる打ち上げ及び国際宇宙ステーション(ISS)への輸送が行われ,翌月の3142020分にISSから宇宙空間に放出されました.同日2110分にはひろがりの電波が受信できる予定でしたが,その翌朝まで電波が受信されることはありませんでした.同時に放出された衛星のほとんどはその日のうちに電波が確認されていたため,なんでうちは取れないんだという焦りもありましたが,その日はまだそこまで深刻には捉えていませんでした.当時ひろがりが日本上空を通過するのは夜〜早朝にかけての時間だったため,その日から毎日大学に泊まり込みで受信を試みる運用が始まりました.当時の僕のスケジュールは,昼過ぎに起床し登校,夜までその日の方針を決める会議,90分ごとのパスを待ちながら会議や情報収集,早朝に帰宅しTwitterで運用報告をして就寝,という流れでした.最初の2日間くらいは疲れと睡眠不足が重なってきつかったですが,3日目くらいからこのサイクルに慣れてきて,この状況を楽しんでいました.

 しかし,本当に辛いのはここからでした.原因の分析のための会議を何時間も行う中,原因の候補が1つ1つ消えていきました.原因の候補が絞られることで運用の方針を考えやすくはなりましたが,それは同時に自分達が打てる手がなくなっていくことを意味しました.最終的に,衛星の電源が入っていないことと,アンテナが展開していないことの2つが主な原因の候補として残りましたが,前者であればなすすべはありませんし,後者もアンテナが展開していなければ地上からのコマンドが受信される可能性は非常に低く,わずかな可能性にかけてアンテナ展開コマンドを送信するしかありませんでした.「3日間電波が受信されなかった衛星が復活した事例はかなり少ない」とどこかで聞いた話が頭をよぎりました.さらに,このような状況が続くともちろんメンバーの心も体も疲弊していき,日に日に運用に参加するメンバーも減っていき,深夜の大学でたった2人で運用を行うこともあり,心が折れそうになりました.

 そんな中,Twitterで運用状況の報告をするたびにたくさんの方が応援のメッセージを送ってくださりました.OBの方からも前号機OPUSATの運用経験をもとにアドバイスをいただきました.ひろがりの電波を待っているのは自分だけじゃない,これまで関わってきたOBOG,応援してくださった多くの方々の想いに応えたいという気持ちで,僕は1つのパスも逃さず運用に参加し続けました.

 そして,放出からちょうど1週間後の3212030分頃.まだ早い時間だったこともあり,比較的多くのメンバーが衛星運用管制室にいました.僕はそれまでの1週間と同じく,地上局の画面の前で電波受信画面を観察していました.すると,画面の右下の方から一筋の綺麗な光が現れました.このようなことは初めてだったので期待しながらモールス信号を聞いてみると,間違いなくひろがりからの電波でした.

 これが確認できた瞬間,どっと拍手と歓声が沸き起こりました.僕は1週間必死で運用を行なってきたことが報われ嬉しいと同時に,多くの方々の期待や応援を裏切らなくて済んだことに安堵しました.

 その後,ひろがりは他の衛星よりも力強く電波を発し続け,ミッションを成し遂げました.

 僕にとって,ひろがりの運用はこれまでの人生で最も忘れられない経験となりました.

 このひろがりの成功は,開発・運用に関わった大阪府立大学,室蘭工業大学のメンバーだけでなく,多くの方のお力添えあってこそのものだと深く感じております.これまでひろがりに関わってくださった皆様,本当にありがとうございました.

 

ファーストパスの瞬間の映像

東京大学大学院 工学系研究科電気系工学専攻

修士1

森瀧瑞希

私の運用の振り返り

 修士1年の米山です。私たちのCube-Satひろがりが無事役目を全うして大気圏で燃え尽きましたということで今回のSSSRCだより特別号です.まず最初にプロジェクト内外の様々な関係者のみなさんのおかげで,ひろがりが運用終了までを迎えられました.ひろがりに携わる中で,様々な方々のご協力・ご厚意・ご尽力のもとにプロジェクトが山を乗り越える姿を見てきました。心から感謝申し上げます。

 さて,本稿ではひろがりの運用という面に絞り,個人的な視点から振り返ろうと思います.ひろがりの運用というものに対して自分がどれだけの貢献ができたのだろうかと自問したときに,運用開始前含め約1年間、運用の体制を整え継続的に維持するという点において一定の役割を果たせたのではないかと思います.具体的には運用人員の習熟やシフト作成,運用の定常期以降の運用方針など運用のやりくりの部分です.結果として軌道寿命全体にわたり安定して機能し結果を残したひろがりや,その運用を支えたメンバー及び関係者の頑張りは褒められるべきものだと感じており,そこに役立てたのはよかったと思います.

 ただ運用のやりくりにあたって悩ましい部分もありました.運用初期でいうと,ひろがりの仕様への理解の深いメンバーが主体となる一方で,他のメンバーもうまく取り込んで人手を増やさなければ継続的に運用を続けられないということが目に見えていました.しかしながらコロナ禍もあり,気軽に衛星部屋へ行けない中で運用に加わるハードルを感じていたメンバーもいたのではないかと思います.またコロナの影響が一旦和らぎ,運用が定常期に入ってからも,深夜運用は基本的に大学近くに住んでいるメンバーで行っていたために負担の偏りに声が上がる時期もありました(睡眠は大事、規則正しい生活は心のゆとりを生みます).運用開始から何カ月も経過し,概ねミッションの達成に目途が立った一方で,新しい刺激が少なくなってくると,どうしてもマンネリ化を否定できない面がありました.学生による開発でモチベーションベースの活動であることに加え,やれることが限られている中で,うまく回していくのは悩ましいところでした.これについてはミッションまでいかないまでも運用のときに余裕があれば試そうみたいな要素を開発の段階で盛り込めれば良いのだろうなと思います.

 このように運用についてslackなどを遡りながら振り返るとあんな時期もあったなあ,と苦々しくも懐かしく感じます.ここまで個人的な振り返りにお付き合いいただきありがとうございます.最後に,ひろがりに共に力を注いできたメンバー及びひろがりを温かく見守ってくださったみなさまに感謝申し上げると共に,現在進行中の次期衛星プロジェクトへも引き続きご支援賜りますようお願い申し上げます.

特別号1

運用初期の疲労困憊のひろがり三代目PMと愉快な仲間たち

 

  大阪公立大学大学院 工学研究科航空宇宙海洋系専攻

修士1年

米山まうむ