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1995年、大阪市立大学文学部に入学し、部落問題関連講座を受講したことをきっかけに部落問題に関心を持った私は、夏休みに先輩方に連れられて、とある被差別部落を訪問しました。現地の方からのつらい部落差別体験の聞き取りや、ふるさとを大切にしている姿も含めてたくさんのことを教わった私は、先輩方との振り返りの際に、「思ったより明るく対応していただいた」旨の発言をしたところ、先輩から、「それは内田くん、部落の人は暗いっていう否定的なイメージを持ってたからちゃうか?」と言われて、ハッとした経験があります。 今から考えると、「被差別部落」という文字面に引きずられて、差別されて困っている人というイメージを持たされていたわけですが、それはその人の一側面に過ぎないわけで、つらいこともあれば楽しいことも、苦しいこともあれば喜びもあるはずなのに、と気づけるようになったのは、これまでに私がたくさんの被差別部落出身者に出会ってきたからでしょう。実際の出会いや学びがなければイメージに引きずられて気づけない。差別問題によくあることです。
部落問題についてよく知らない人もいると思いますので、簡単に解説しておきましょう。「部落」は、人が集まって住んでいる集落や村落などを指す用語です。ただし、そのような意味での「部落」は、差別の対象となっているわけではありません。部落問題における「部落」は、差別の対象となっている「被差別部落」のことです。 被差別部落のルーツは江戸時代以前の身分にあります。当時、「えた(穢多)」や「ひにん(非人)」などと呼ばれ、賤民とされた人たちがいたこと、また、1871年に明治新政府によって出されたそれまでの賤民身分を廃止する「解放令」、さらには1922年、部落差別を撤廃するために部落出身の若者が中心となって創立した「全国水平社」は、学校の歴史教科書に明記されているので、習ったことがある人は多いでしょう。それら穢れているなどとされてきた人々が居住している/していた場所のことを、現在は「被差別部落」と呼び、その略称として「部落」という用語が使われています。 部落差別は、すべての人間が人間として当然保障されるべき基本的人権の実現が目指される近代社会においては、なくしていくべきものです。そこで、全国水平社や、その後身組織である部落解放同盟などのような部落出身の人びとのみならず、国・自治体行政・教員・企業・宗教団体・労働組合などを含め、これまで多くの人たちが、部落差別を生み出す社会を変革しようと努力を重ねてきました。 その結果、近代以降、差別と貧困に苦しんできた部落(「同和地区」)の住環境は大きく改善し、学校教育・同和教育や市民啓発によって部落問題について学習した人の多くは、部落差別は不当な差別であると認識し、なくしていくべきものだという理解が広がって現在に至ります。 ちなみに被差別部落の「被差別」には、差別される側に問題はなく、差別はする側の問題であり、まったくもって理不尽な差別を受けている地域だという含意があるのですが、それもまた部落差別について私が学んだから理解できるわけでして、そうでなければ過去の私のように、文字面に引きずられてマイナスイメージを持ってしまう人もいると思います。
近年、差別研究において注目されている概念のひとつに「マイクロアグレッション」があります。マイクロアグレッションとは、あからさまな人種差別や性差別が抑制されるようになった現代社会において、意図しようがしまいが、対人関係において差別の対象となる人々に敵意、軽蔑、軽視などの侮辱を伝え、被害者のメンタルヘルスに悪影響を与えるものです。後述するように「マイクロアサルト」(攻撃)、「マイクロインサルト」(侮辱)、「マイクロインバリデーション」(無化)の3つの現れ方がありますが、加害者が被害者への侮辱にあたる言動だと気づいていないことがよくあります。 部落差別についても、あからさまな差別言動は抑制されるようになりましたが、マイクロアグレッションに該当する言動はままあります。 たとえば、攻撃を意味する「マイクロアサルト」は、部落の人びとを蔑称で呼ぶこと、部落の人びとのことをそれとわかるしぐさで示すこと、部落の人びととの交際や結婚などを避けたり、避けさせたりすることなどです。これらは部落や部落出身者に対して悪意を持ってなされることが多いことから、従来から部落差別と認識されてきたわかりやすい差別言動です。 他方で侮辱を意味する「マイクロインサルト」は、部落の人はこわい、ずるい、部落は治安が悪いといった直接的に貶める表現のほか、「部落の人にしては勉強ができるね」「部落の人って思ったより普通の人ですね」と言ったように一見褒め言葉であるように見えて、そもそも部落の人は能力がないこと、変わった人びとであることを前提とするメッセージが代表的なものです。実は、「思ってたより明るいんですね」という言葉は、部落出身者が初対面の人に出身を伝えた際に実際にしばしばある反応です。これは、部落の人はかわいそう、怒っている、泣いている、暗い、こわいといった固定観念があるからこそ発せられる言葉であり、主観的にはほめているつもりであっても、部落出身者全体を貶める意味になっています。冒頭で紹介したかつて私が無意識に行った言動は、「マイクロインサルト」だととらえ直せます。 「部落分散論」と呼ばれる「部落の人が固まって住んでいるから差別されるので、分散すれば差別はなくなる」といった考え方や、「なぜ部落は差別されるのですか」といった疑問を部落出身者になげかけることも、文脈によっては「マイクロインサルト」となり得ます。なぜなら、差別問題を解決する主体はマジョリティであるにもかかわらず「部落の問題だ」として部落の人たちに部落差別の解決の責任を負わせる言動ですし、そもそも部落の存在を良くないものとして見下しているからこそ、部落出身の人にとって大切なふるさとを消滅させるという極めて乱暴な分散論が提起されるわけです。 さらに気づきにくい差別として「マイクロインバリデーション」があります。「部落なんて関係ない」「私たちは皆人間だ」「そんなの考えすぎだ」などといったように、部落の人びとのアイデンティティや部落に関連した経験を軽視したり、否定したり、無化したりすることです。部落差別のことは「わざわざとりあげないで、そっとしておく方がよい」という考え方は、「寝た子を起こすな論」と呼ばれますが、この論をその典型例としてあげることができるでしょう。「寝た子を起こすな論」は、問題を直視しないことによって問題を放置することになるとともに、マイノリティの人びとが声をあげにくい状況を強化してしまいます。 部落分散論や寝た子を起こすな論は善意で発せられることも多いですから、そうした言動を発する人もよもや自分が差別をしているとは認識していないと思います。差別と気づくためにも、学びは重要ですね。
ここでは部落差別を事例としてマイクロアグレッションの紹介をしましたが、差別言動は必ずしも悪意を伴って生じるものではありません。マイクロインサルトやマイクロインバリデーションのように、無意識・無自覚に、よく知らないからこそ加害してしまうことがあります。あらゆる差別がそうですが、部落差別が部落差別として認識されることは、その撤廃のための第一歩となります。幸い、大阪公立大学では部落差別をはじめ、さまざまな差別について学ぶことができる授業が多く開講されています。 卒業生であるかつての私がそうであったように、是非、講義を通じて部落差別について学び、被差別部落の方々と出会い、差別の恐ろしさと同時に、人間・社会の豊かさについて、学んでいただきたいと思います。
おすすめの参考文献
角岡伸彦,2024『よりみち部落問題』ちくまプリマー新書上川多実,2024『〈寝た子〉なんているの?――見えづらい部落差別と私の日常』里山社デラルド・ウィン・スー著・マイクロアグレッション研究会訳,2020『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション――人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』明石書店
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