Chaper3 障がい者と人権
誰も排除されない社会に向けて~障害者権利条約「総括所見」から考える~
松波めぐみ(大阪公立大学アクセシビリティセンター特任准教授)
障害者権利条約を知っていますか?
ある時私は、公務員向けの研修の場で、こんな質問をしてみました。--「国連で2006年に採択され日本が2014年に批准した障害者権利条約には、具体的にどんなことが書いてあると思いますか? 一つでも二つでも挙げてみてください。」
ほとんどの人に「困った」「知らない…」という表情が浮かびました。かろうじて出てきた答えは、「福祉を受ける権利」、「教育を受ける権利」でした。
なるほど。もちろんそれらは重要ですし、条約にもそうした内容は含まれています。しかしこれらは、「すべての人に必要なもの」でもありますよね。
では「障害者の権利」としては、どんなことが定められているのでしょうか。
たとえばこんな「権利」が定められた
障害者権利条約には、あらゆる障害のある人が差別されず、尊厳をもって暮らしていくために、締約国(条約を批准した国の政府)は何をしないといけないか?が定められています。
3つだけ挙げましょう。
・「地域で暮らす権利/どこで誰とどんなふうに暮らすかを自分で決める権利」(第19条)は、障害があれば施設や病院で一生を過ごすことになってもしかたがない、とされてきたことへの明確な「NO」です。どんな障害や病気をもっていても、地域で(普通の家やアパートで)必要な介助や支援を受けながら生きる権利があるし、国や行政はそれを実現させる責任があります。
・「地域の学校でともに学ぶ権利」(第24条)は、障害のある子も障害のない子と同じく、近所の学校で、質の高い教育を受ける権利があると定めています。こうした教育を「インクルーシブ教育」といいます。どんな障害があっても、たとえ重度障害でも、地域の普通学校・学級から排除されることなく、かつ個々に応じて必要な支援、「合理的配慮」(バリアをとりのぞくための環境調整)を受けながら学ぶことができることを意味します。
・「情報やコミュニケーションにアクセスする権利」(9条、21条)は、障害のある人がそうでない人と同等に、情報を受け取ったりコミュニケーションしたりできるよう保障されるということです。視覚障害のある人には点字や音声の情報、聴覚障害のある人には――人によって何が最適かは異なりますが―手話通訳、字幕放送、パソコンテイク(講演会や授業内容を文字化すること)、補聴機器の整備などが必要になります。
もちろんこれら3つ以外にも、さまざまなことが定められています。交通機関にアクセスする権利、働いて生計をたてる権利、そのままの身体でいる権利(日本で1996年まであった「優生保護法」のように不当に身体にメスを入れる強制不妊手術などを許さない)、家族形成の権利、暴力・虐待からの保護、障害のある女性への「複合差別」をなくすとりくみの必要性、そして「障害を理由とした差別の禁止」(差別には「合理的配慮を提供しない」ということも含む)といったことです。
条約を批准した日本では、ここに書かれたことを守るための法整備も進められています。
障害者の声を「抜き」にしない
「地域で暮らす」「近所の学校に通う」「必要な情報を受け取る」…これらは障害のない人にとっては当たり前すぎて、あえて「権利」という意識すらなかったことではないでしょうか。
条約を作るときの世界共通スローガンが「われわれ抜きに、われわれのことを何も決めるな!(Nothing about us, without us!)」でした。裏をかえせば、それまでが障害者の声を聴かずに障害者についての法律や政策が決められてきたということです。
障害があることで地元の学校に通えない、情報が欲しければ「健常者の思いやり」に頼らざるをえない…。障害のある人たちは、長い間続いてきたそんな状況を変えようと必死で闘ってきました。他の人権条約よりもずっと遅れて、2006年という時期にやっと条約ができたことの重みを感じてほしいと思います。
「総括所見」は、世界から見た日本の人権状況の「通知表」
日本は法整備をおこなった上で、2014年に条約を批准しました。
国連には、各国の政府が条約を守っているかどうかを定期的に審査するしくみがあります。2022年8月に、初めての日本政府に対する審査がジュネーブで行われました。審査に先立って、日本政府からの報告書と、NGO(障害者団体や弁護士会など)からのパラレルレポートが提出されていました。さらに、日本から100人近い障害当事者や支援者がジュネーブに行って、実情を国連の委員に直接伝えました。
その結果、障害者権利委員会から出された「総括所見」は、「日本において障害のある人の人権はどのような点が守られ、どのような点が守られていないのか。特にどんなことが課題なのか?」を示す貴重なレポートだといえます。
「総括所見」で特に指摘されたこと
「総括所見」では最初に「肯定的な点」として、日本政府がまがりなりにも法整備を行ってきたことを評価しています。障害者差別解消法の改正(事業者にも合理的配慮を「義務」とした)や、2022年5月に「情報アクセシビリティ法」を制定したこと等です。
それ以降は、とりくみが不足している点が具体的に指摘されています。その中でも特に強い表現を使って改善の必要性が記さたことの一つが、24条(インクルーシブ教育)です。
インクルーシブ教育が進んでいない問題(第24条)
権利委員会は「特別支援教育は分離教育であり、中止すべき」として、「インクルーシブ教育」に関する国の行動計画を作ることを求めました。
特別支援教育を受ける子どもの数は、2021年度はおよそ57万人で、10年前に比べて、倍増しています。学校選択は「本人や保護者の意向を最大限尊重」していると文部科学省は述べていますが、実際には「通常学級で学びたいと伝えても、設備が整っていない等の理由で拒否された」という障害児と家族からの訴えが多くあります。
インクルーシブ教育は障害のある子を含むすべての子が、それぞれに合わせた必要な支援を受けつつ、ともに関わり合いながら一緒に学ぶことで実現します。そのためには、教員の増員、他職種との連携、教員の質の向上など、解決しなければならない課題は山積しています。
インクルーシブな社会のために
長く続いてきた分離教育は、障害のない子どもからも、「異なる特徴をもつ同年代の子どもと同じ空間で一緒に時間を過ごしながら互いを理解する」機会を奪ってきました。
障害のある人が施設や病院ではなく地域で暮らそうとしても、入居差別に遭ったり、地域住民からグループホーム建設反対運動が起こされたり、といったことがあります。本原稿では触れられませんでしたが、障害のある人が日常的に遭遇するさまざまな差別事象(飲食店への入店拒否、バス乗車拒否、合理的配慮を申し出た人への誹謗中傷…)の背景にも、「分離」されてきたからこその健常者側の不安や思い込みがあります。
日本は長らく分離教育を原則としてきました。「支援学校では手厚く支援できるから、今のままでいい」と考える親御さんや教職員もいます。しかし分離教育を続けることは、社会の分断を永続化させることになります。障害のある子どもが地域の学校に通い、かつ必要な支援を十分受けられるようにするためには、教育制度全体の見直しも必要になります。簡単ではありませんが、一歩ずつ「インクルーシブ教育」の実現に向けてできることを積み重ねることが、インクルーシブな(誰も排除されない)社会につながっていくと考えます。