Chaper4 エスニシティと人権
なぜ在日コリアンの歴史を学ぶのか
伊地知 紀子(大阪公立大学文学研究科教授)
高麗同窓会の碑
皆さん、大阪公立大学杉本キャンパスの1号館東にある生協前に、「高麗同窓会」の碑があるのをご存じでしょうか?「25周年記念」として建立されており、1972年4月と刻んであります。建立年が何の25周年に当たるのかは不明なのですが、現在も継続しているこの同窓会のメンバーは、在日コリアンです。なぜ、在日コリアンによる同窓会の碑が、大阪市立大学に建立されたのでしょうか?
日本の大学への朝鮮人留学は1881年慶應義塾入学の2名を嚆矢とします。大学別同窓会は1907年早稲田大学朝鮮留学生同窓会に始まり、明治・中央・日本・慶応、さらに法政、専修、農大、東大のほか京大、同志社、立命館など関西の大学にも朝鮮人学生の団体が生まれ、植民地期の日本で民族主義的活動を行っていました。民族主義的活動というのは、日本に植民地支配された朝鮮を解放へと導くためのものです。日本による朝鮮の植民地支配は、1910年の「韓国併合」(この場合の「韓国」は大韓帝国:1897-1910)からだと習った人もいるでしょう。その前の段階があります。明治維新以来、朝鮮半島を権益圏に取り込むため、近代日本は日清戦争以来都度に進出してきました。こうした動きの中、近代教育を先に設置した日本へ留学する人たちが出てきました。世界史を辿れば、植民地宗主国へ被支配国あるいは地域から留学することは珍しくありません。
日本の敗戦後、つまり朝鮮の解放後、朝鮮人は帰郷を目指しますが、植民地支配後の朝鮮半島は米ソの冷戦構造下に置かれ混乱状態に陥りました。1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が建国となり、分断国家が誕生しました。分断以前の朝鮮半島地域から渡日した人びとのうち、この時期、やむなく日本に留まり生活を続けることになった数は約60万人といわれています。当然、大学生もおり、戦前同様に同窓会活動が生まれました。現存する主な同窓会は早稲田大学ウリ稲門会、中央大学コリア同窓会、法政大学ウリ同窓会、慶應大学コリア三田会、同志社校友会コリアクラブ、立命館大学ウリ同窓会であり、大阪市立大学高麗同窓会はその一つとなります。
「民族問題論」開講
現在、基幹教育で「コリアン・スタディーズ」を開講しています。この科目の源流は、1975年に自主講座として始まった「民族問題論」です。この授業は、経済研究所におられた尾崎彦朔先生と非常勤講師だった姜在彦先生によって開かれていました。きっかけは、学内の食堂に在日コリアンへの差別落書きが発見されたことによります。大学生になるまで、日本の植民地支配の歴史を学ぶ機会が少ない教育の状況があるため、在日コリアンについて学んでもうおうと、当時の在日コリアン学生らが二人の教員に依頼をしたのでした。「民族問題論」は正規科目ではありませんでしたが、多くの学生が学び、後に朴一先生(現大阪市立大学名誉教授)が赴任され、「エスニック・スタディーズ」という名称に変更され単位化されました。「コリアン・スタディーズ」は、在日コリアンの歴史と現状を学ぶという歴史を継承した科目です。
日本社会の住民は近年ますます多国籍化しています。こうした現状にあって、なぜ今も在日コリアンについて学ぶ科目を設置するのでしょうか?去年、150名ほど出席していた受講生のコメントカードを読むと、在日コリアンとはこの20年くらいの間で(つまり、韓流が流行し始めた頃から)好んで日本に来た人たちだ、と思っている人は3分の1でした。在日コリアンという言葉を知らない人が3分の1、日本の植民地支配との関係があるようだと何となく知っていた人が3分の1でした。在日コリアン第一世代は、植民地支配により生活の場を日本に移さざるをえなかった人びとです。現在、第四世代、第五世代が生まれており、在留カードの「国籍」欄が「韓国」あるいは「朝鮮」と記載されている人たちは特別永住資格者です。なかには、どの国家のパスポートも所有していない人もいます。これには、歴史的経緯があります。
1948年に分断国家が誕生する以前から日本に在留してきた人びとの「国籍」欄の記載は、日本の敗戦後、地域を意味する「朝鮮」でした。1965年の日韓外相会議を経て、最初に永住資格の対象となった人は、韓国国籍選択者だけでした。「国籍」欄が「朝鮮」の記載のままである人たちの永住資格は、1981年に日本政府が難民条約を批准したことにより許可の対象となりました(但し、「朝鮮」は地域名であり、国交がないことから朝鮮民主主義人民共和国を意味するものではないため、永住資格はありますが無国籍同様に対応されるという困難な状況は継続しています)。ただ、ここまでの永住資格は第一世代と第二世代を対象としたもので、第三世代以降については保留のままでした。第三世代以降の人びとの永住資格が確定したのは、1991年です。こうした歴史的経緯の中、日本から一度も海外に出る機会のなかった在日コリアンは、パスポートを持っていません。この事実を知らない人が多数いるため、韓国国籍の在日コリアン第三世代の大学生が、アルバイトの面談でパスポートを所有していないことについて不審がられ不採用になったケースが最近あります。日本社会では、外国国籍であれば、すべて海外から渡日した人であるという思い込みが強いため、本学内での諸対応においても同様の問題が生じたことは少なくありません。「国籍」欄を韓国あるいは朝鮮とする在日コリアンは、日本社会で生活する上で納税の義務を果たしていますが、選挙権・被選挙権がないため自分たちの声を投票で訴えることができません。
学びの場を継承し広げる
日本は、1980年代に国際化という旗を掲げました。同じ内容で表現をグローバル化と変えた現在、海外から多様な人びとが来日し生活をしています。しかしながら、多様な文化を持つ人びとが、平穏に暮らせる社会かというと、そうではありません。ヘイトクライムは様々な形態で起こされており、やむなく訴訟を起こす被害者が継続して出ています。在日コリアンの歴史を学ぶことは、日本社会における外国籍住民、また多様なルーツを有する人びとへの理解を促進するにあたり、根源的な視角を育成することにつながります。学内では、1975年から在日コリアンに関する講義は続いてきましたが、もちろん受講生は全学生の一部であり、大学に入るまで日本の植民地支配について十分学ぶ機会は現在も希少です。本学の学生には、「コリアン・スタディーズ」をはじめ、関連内容を扱う科目をぜひ受講してほしいと思います。
また、2023年4月に大阪市生野区にある大阪コリアタウンすぐそばに開館した、「大阪コリアタウン歴史資料館」も、ぜひ訪れてみてください。大阪は、戦前には東京よりも大都市であり、上記のように生活の道を求めて朝鮮半島から渡日せざるをえなかった多くの人びとが暮らす地域でした。日本の敗戦後、現在まで在日コリアンの最多集住地域が、本学の位置する大阪です。こうした地域の歴史を踏まえ、私は2020年4月に学内に大阪コリアン研究プラットフォームを設置し、多様なイベントや研究活動を展開するなか、在日コリアンの友人知人とともに大阪コリアタウン歴史資料館の開館に漕ぎ着けました。資料館は、全て民間の寄付で開設されました。韓流グッズや食べ物で賑わう大阪コリアタウン。なぜここにコリアタウンがあるのか、資料館を見学すればその理由がわかります。大阪公立大学は、数ある日本の大学の中でも「エスニシティと人権」を学ぶ先進的存在です。様々機会を得て、幅広く知見を深めてください。
参考文献・HP
国際高麗学会日本支部『在日コリアン辞典』編集委員会『在日コリアン辞典』2012、明石書店