Chaper8 生命と人権

生命と人権----インフォームド・コンセントをめぐって

土屋 貴志(大阪公立大学文学研究科准教授)
医療とインフォームド・コンセント

 医療は、病気を治したり苦痛を和らげたりするために行われます。そのために医療者は患者の身体を、さわったり、手術を行なったり、薬を飲ませたりします。しかしながら私たちは、《勝手に自分の体にさわられたり、体の部分を切られたり、薬を飲まされたりしない権利》をもっています。そこで、《たとえ病気を治すためであったとしても、本人の了解を得ないで患者の体をさわったり切ったり薬を飲ませたりしたならば、それは「暴行」を加えたことになるのだ》という考え方が成り立ちます。そこで《患者に医療行為を行なうに先立って、患者の病気はどのような状態にあり、どのような医療行為を何のために行なうのか、成功する確率はどのくらいか、どんな危険性や副作用や後遺症がどのくらいありうるか、ほかにはどんなやり方があり両者を比較した場合のメリットとデメリットは何か、といったことを患者本人にきちんと説明し、患者が正確に理解して承諾を与えてからにすべきだ》ということになり、これを「インフォームド・コンセント(情報を与えられた上での同意)」の考え方と呼びます。
  「コンセント」とは「同意」という意味ですから、主語は必ず患者でなければなりません。「医療者がインフォームド・コンセントをする」という表現をしばしば見かけますが、これはインフォームド・コンセントの考え方をまったく理解していないことを露呈しています。

人を研究対象(「実験台」)にする必要性

 ところで、《この治療法を行なうと患者の病気が治る》と、どうしていえるのでしょうか。それは、その治療法を患者に実際に試してみて効果があったからにほかなりません。つまり医療の発展は、人間を研究対象(被験者、いわば「実験台」)にし、成功例と失敗例を無数に積み重ねることによって、成し遂げられているのです。
 もっとも、みなさんの中には「人間を『実験台』にしなくても、治療効果は動物を用いた実験で確かめられるはずだ」と思う人がいるかもしれません。しかし、動物実験でいくら効果があったとしても、実際に人間の患者に効果があると確認されない限り、治療法にはなりません。人間と動物の生理学的性質は異なるので、動物で効果が認められた薬でも人間に効果があるとは限りませんし、そもそも、人間に感染したり病気を発症させたりする菌やウイルスが、動物には感染しなかったり感染しても病気を発症させなかったりする場合もあるのです。
 そして、医学が科学的になり、治療効果の客観的証拠が求められれば求められるほど、科学的に厳密な実験や研究がますます必要になります。たとえば、今日では、次のような方法(二重目隠し試験)が、最も厳密で科学的な治療法開発実験とされています。
 まず、ある病気の患者のできるだけ属性を揃えた集団を作り、開発中の治療法を行なうグループと、行なわないグループ(対照群)とに、各患者を無作為に割り付けます。さらに、「プラシーボ効果」(「治療してもらった」ことだけによる効果)を差し引くために、個々の患者がどちらのグループに属しているのかを、患者自身や担当医師にすらわからないようにします。そうしておいて、開発中の治療法を行なったグループのほうが、対照群よりも統計学的に効果が上がっているかどうかを調べるのです。

医学研究におけるインフォームド・コンセントの問題

 効果が確かめられている治療を患者に行なう「診療」ではなく、効果があるかどうか確かめるために患者を「実験台」にする「研究」(「臨床研究」)では、より厳格なインフォームド・コンセントが求められるはずですが、それを妨げてしまう要因があります。
 第一に、有効な治療法がなく、治療法を開発するために新しい方法を試してみる場合には、患者のみならず医師も効くと信じていて、実験的試みであることが意識されにくいことがあります。そうなると、それはあたかも、すでに効果が確かめられている「治療」であるかのように行なわれてしまいます。
 第二に、予防薬の開発や、人体に関する生理学的知見を得るための実験では、何の病気にもかかっていない健康な人を「実験台」にせざるをえません。たとえば、開発中の新薬候補物質の毒性を確かめる実験(第一相試験)では、健康な被験者を危険にさらすことになります。また、ワクチンの開発実験では、被験者が効果を過信して、その病気に感染してしまうことも起こりえます。
 第三に、健康な人を「実験台」にする場合はもちろん、患者を「実験台」にする場合にも、同じ病気に苦しむ他の患者や将来の患者のためには貴重なデータとなり医学の進歩に貢献するけれど、「実験台」になる本人にはまったく利益がない、ということがあります。しかし、このような実験がとくに患者に対して行われる場合には、患者本人は何らかの治療効果をどうしても期待してしまい、あえて危険な「実験台」になることを志願してしまうこともあります。

おわりに

 人間を「実験台」にした研究は医学にとって欠かせないので、医学研究の倫理は、診療の倫理と並んで、医療倫理学の柱をなしています。インフォームド・コンセントといっても、すでに有効だと確かめられている「治療」に関するものと、有効かどうか確かめるための「実験や研究」に関するものを区別することは、医療や医学とは何なのかについて考えていくための第一歩になります。

推薦図書
井上悠輔・一家綱邦編著『医学研究・臨床試験の倫理:わが国の事例に学ぶ』日本評論社、2018