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みなさんが大学のキャンパスにやって来る、その日常を少し思い起こしてみましょう。企業活動との結びつきがみえてきます。 朝起きて照明をつける。電気は企業から供給されています。朝食をとる。食材は企業の生産物です。駅まで自転車で行くなら、その自転車は企業の生産物です。電車に乗る。JRも南海電鉄も企業によって運営されています。地下鉄も2018年から民営化されています。電車を降りてコンビニに寄る。コンビニは企業によって運営され、そこで買ったものも企業の生産物でしょう。スマホで友人に連絡する。スマホは企業の生産物、通信回線も企業のサービスです。・・・ こうして、私たちの日々の生活はおびただしい数の製品とサービスによって成り立っています。逆に言えば、それらを生産するおびただしい数の企業が存在し、それぞれが社会に製品やサービスを供給する事業活動を行っています。
こうした企業活動と人権はどのように関係しているでしょう。企業と人権。一見異なる世界のようにみえるこの両者は、しかし実は密接に結びついており、その認識は世界中でますます高まってきています。 多くの学生が使っているスマホを考えてみましょう。スマホは1000~1500の部品から作られていると言われます。例えばもとは地中に眠る鉱物を含む電子部品などがスマホになるまでの間には、採取、精錬から組み立てに至るまでの複雑で長い工程があります。その際、数えきれないほどの人々が工場やオフィスでその生産工程に携わっていることは想像に難くありません。さらに製品となったスマホを運搬したり販売したりする段階でも、数多くの人々が携わっています。こうした工場やオフィス、運搬や販売での携わりかた、つまり労働は、どうなっているでしょう。世界中で、あるいは日本で、強制労働やハラスメントなど、人権が守られた適正な労働環境がゆきわたっているとは言えない現実が問題になっています。 企業活動と人権をめぐるこうした問題、つまり働く人や、さらには消費者や地域社会を含む社会の人々に及ぼす悪影響(「負の影響」と言います)の問題は、すでに20世紀後半から世界中で起こってきました。1990年代半ばには、米国のスポーツシューズメーカーが、アジアの委託先工場での児童労働についてNGOなどから厳しい批判を浴び、全米のボイコット運動にまで発展しました。インド・ボパールの除草剤工場から有毒ガスが流出して地域住民に甚大な被害を及ぼしたのは、さらに遡って1984年のことでした。最近では、2013年にバングラデシュで発生し、1100名を超える犠牲者を出したラナ・プラザビル崩落事故があります。欧米などから生産委託された縫製工場が入るこのビルでの安全性を顧みない労働現場の問題は、アパレル企業のサプライチェーン上の問題として大きく取り上げられました。日本でも、例えば、有毒なメチル水銀を垂れ流して地域住民の生命と健康に甚大な被害を及ぼした、1950年代から続く水俣病の問題は、今もなお解決していません。 以上のような企業と人権をめぐる問題は、企業活動が日常的に続いている以上、現在でも、どこでも起こる可能性がある、あるいは起こっている、と言っても過言ではありません。
日本の企業もこうした企業と人権に関わる問題に、企業の社会的責任(CSR)の課題として、あるいは法令遵守の課題として、さまざまに取り組んできました。障害者雇用や「合理的配慮」をめぐる課題、女性の労働や性的マイノリティをめぐる課題、セクハラやパワハラ、カスハラなどのハラスメントの課題、就職差別のない公正な採用選考の課題等々、概ね身近な職場での問題を中心に、十分であったかどうかは別として、従来から日本企業はさまざまに取り組んできました。それらは、場合によっては、ダイバーシティやSDGsといった文脈でも語られてきました。 一方、2011年に国連人権理事会で「ビジネスと人権に関する指導原則」が承認されて以降、日本でも「ビジネスと人権」の考え方が徐々に広がり、とりわけ2020年代に入ってからは急速に認知度が高くなってきました。グローバルに展開する大企業を中心に、「人権方針」を策定したり、「人権デュー・ディリジェンス」(後述)を実施したり、といった取り組みが目立つようになってきました。次にこの流れについてみておきましょう。
前述のような、前世紀から世界中で続いてきた企業活動による人々への負の影響、つまり人権侵害の問題への対処は、国連など国際社会の場でも大きな課題となってきました。21世紀に入り、この問題に関する国連事務総長特別代表に任命されたハーバード大学のジョン・ラギー教授が中心となって進められたのが、2011年に国連人権理事会で全会一致で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則」に結実する一連の流れです。 「指導原則」はその後、世界中で非常に大きな影響を及ぼしてきました。多国籍企業と言われる世界のグローバル企業がこの「指導原則」に沿って取り組みを進め、また「指導原則」を実施するための行動計画が、日本を含め多くの国で策定されてきました。「ビジネスと人権」と表現される考え方は、この「指導原則」に代表される枠組みで語られる内容のことを言っています。
「ビジネスと人権」の考え方の中で「保護・尊重・救済」は非常に重要なキーワードです。国は企業活動が及ぼす人権侵害から人々を保護しなければならないとする「国家の人権保護義務」、②企業は事業活動において人権を尊重するべきとする「企業の人権尊重責任」、③人権侵害があった場合に救済に有効に結びつけるための仕組みを整備するべきとする「救済へのアクセス」は「指導原則の3つの柱」と言われます。 ①の「国家の人権保護義務」も極めて重要ですが、一方企業にとって重要な②の「企業の人権尊重責任」は、事業活動において関係する人々に負の影響を及ぼさない、つまり「人権を侵害しない」という責任です。企業はまず、あらゆる事業活動に「人権リスク」はないか、つまり事業活動によって人権を侵害していないか、あるいは侵害する可能性はないかを洗い出して問題を特定すること、つまり事業活動に関係する人々の人権をどのように侵害しているか、あるいは侵害する可能性はないかを特定することが求められます。そして、特定した人権侵害を防止・軽減する取り組みが求められます。この一連の取り組みを「人権デュー・ディリジェンス」と言いますが、実際に人権侵害が起こっていれば、その状態を是正して救済に結びつける仕組み(グリーバンス・メカニズムと言います)をつくることが求められます。 ちなみに、この「デュー・ディリジェンス」は、企業買収などのM&Aと言われる分野で、対象企業の資産や業績を調査・分析して評価する意味で使われてきました。最近では上記のように「負の影響」を特定・評価して対処する意味で、「人権デュー・ディリジェンス」あるいは「環境デュー・ディリジェンス」という表現も使われるようになっています。「人権DD」等と略される場合もあります なお、人権デュー・ディリジェンスと救済では、事業活動全体、つまり身近な職場だけでなく、取引先や消費者との関係などで間接的に関与してしまっている場合も含まれることに注意を要します。つまり事業活動とは、「川上」「上流」と言われるサプライチェーンから、「川下」「下流」と言われる製品・サービスの消費に至るまでのすべてのプロセスです。例えば、先の例でいうと、委託先工場での児童労働や労働環境の問題、またみなさんが消費者として使っているスマホや食べている食品の安全性などの問題です。ハラスメントなど職場での問題ももちろん含みます。洗い出してみれば数え切れないほどの人権への負の影響の「可能性」が出てくるわけですが、企業には、人権侵害の深刻度を考慮した優先順位に従って対処する取り組みが求められることになります。図は全体のイメージを表していますが、実際にはこれ以外にも数多くの問題があります。
みなさんはこれからさまざまに学生生活を送られると思いますが、場合によっては在学中のアルバイトを通じて、企業の現場に接することもあるかもしれません。そして卒業後には多くのみなさんが企業に就職していきますが、就職活動の中で企業のウェブサイトを調べることもあるかもしれません。その際、「サステナビリティ」や「CSR」あるいは「ESG」といった部分もぜひ見ていただきたいと思います。そこには「企業と人権」「ビジネスと人権」といった分野でのその企業の取り組みが書かれているはずです。
【読書案内】
・『人を大切にー「ビジネスと人権」ガイドブック』一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター、2022年「働く人」「消費者」「地域社会の人々」のそれぞれの視点から「ビジネスと人権」の考え方を分かりやすく伝えるとともに、各章の末尾に用語解説もつけている初学者におすすめの1冊。アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)のウェブサイトから購入できます。・『SDGsと人権 Q&A』解放出版社、2021年SDGsがなぜ、どのように人権と関係しているのかについて、「地域」「学校」「企業」の視点から分かりやすく伝えています。第4章「企業からSDGsを考える」では「ビジネスと人権」やSDGsとの関連が説明されています。また、そもそも人権をどう理解すればよいかという内容も含まれています。・『人権デュー・ディリジェンスの実務』金融財政事情研究会、2023年「ビジネスと人権」に携わる3人の弁護士が、書名にある「人権デュー・ディリジェンス」だけでなく、「ビジネスと人権」全般について、具体例も織り交ぜながら分かりやすく伝えています。企業の実務者向けの位置づけですが、類書にはみられない分かりやすさから、入門者にもおすすめできる1冊です。・『「人」から考える「ビジネスと人権」』有斐閣、2024年HowではなくWhy、つまり「なぜ、企業が人権を尊重しなくてはいけないのか?」という根本的な問いに「ビジネスと人権」に携わる弁護士が答えようとした1冊。そうした視点から「ビジネスと人権」の基本を解説する内容にもなっています。文献や情報源の案内も含まれています。
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