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考古学は教科書的な定義でいえば、昔の人々が残したいろいろなモノや活動のアトによって、歴史を明らかにする学問だ、ということです。ですから、人類が登場し石器をつくりはじめた200万年前から、現在に近い過去までを扱います。日本の考古学で言えば、時代の新しいところでは、江戸時代の研究はかなり行われるようになっており、また明治以降の近代の考古学的な研究も始まっています。人間の歴史を研究するわけですが、扱う資料が昔の人々が残したいろいろなモノや活動のアトであるということです。歴史を明らかにする歴史学、その代 表は文字資料(古文書)による研究(文献史学)ですが、考古学はそれとは異なる資料にもとづき過去を追究する歴史学の一分野ということです。考古学が資料とする、過去の人々が生きてきたなかで形作ってきたもの、そのほとんどは地面のなかに埋もれてしまった状態にあるものです。もちろん、 法隆寺を筆頭に今でも現存する建築物もあるし、お寺に伝えられて現存する工芸品などもあり、それらも昔の人々の作り上げてきたものではありますが、考古学 の主たる資料は、遺跡とよばれる形で地面の中あるものとなります。縦穴住居やら墓やら、それが、そこで使われた残された土器や石器、金属器・木製品その他とともに地中に眠っている遺跡、これを研究の素材として歴史を明らかにする学問、これが考古学です。
遺跡から歴史を復元する考古学、これは石器や住居跡が残されるようになって以後の、実にさまざまな人々の生活痕跡を扱います。文字を書き残すようになるのは、世界の各地でも時代はかなり下ってからになるし、世界には、文字資料を残さなかった人々が広く存在していました。文字資料のない時代、民族あるいは地域、それは考古学でなければ明らかにできないのです。また文字資料を残すようになった地域、たとえば日本でも、古いほど文字資料は少ないし、また支配者側の記録であって、書き記された地域や内容は、おのずから限られた範囲になります。文字資料が森羅万象、なんでも書いてあるというわけではないのです。考古学は、人々の暮らしがあったところならどこでも、同じように扱えるのです。時代による資料の偏りや、地域による資料の偏り、人々の身分の違いに よる資料の偏り、といったものが、あまりないわけです。3万年前から、2000年前から、奈良時代から、鎌倉時代から、あるいは、メソポタミアでもアフリ カでも、シベリアでも南米でも、あるいは貴族でない普通のムラの暮らしぶりまでも、人間が生まれて生活し死んでいった暮らしのあったところ、どこでも扱いうるのです。考古学がオールマイティといっているのでは、もちろんありません。考古学の限界もまたあるわけです。実名のわかっている人物の家屋敷を調査すると いった場合をのぞいて、個人名が登場することはあまりありません、主として名もない集団を扱うことになります。また、考古学の資料は地中に眠っており、そ こから情報を引き出して語らせようとしても、文献資料のようには、なかなか具体的なできごとはわかりません。そうした難しさのある考古学、しかし、遺跡を 調査し、それによって考古学だからこそ明らかにできる歴史があるわけです。考古学、それは歴史を明らかにする上で、古い部分を担当するというものではないことがわかっていただけたでしょうか。考古学は時代を問わず、文字史 料とは異なるモノや活動のアト、それらが残されている遺跡というものを扱い、それによって、こうした資料の特質から明らかにできる歴史を示すことができる わけです。今日では、日本でいえば、奈良時代でも、平安時代でも、鎌倉でも、江戸でも、時代を問わず、総合的に歴史をとらえようとしています。文献史学、考古学、歴史地理学、建築学、その他、その時代をトータルにとらえるには、それぞれの扱う資料からえられる成果を総合することで、より豊かな歴史像をとらえよ うということが目指されるようになってきています。
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