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天理大学文学部歴史文化学科 准教授1999年 大学院文学研究科日本史学専攻前期博士課程入学2007年 大学院文学研究科哲学歴史学専攻後期博士課程修了、博士(文学)2008年 日本学術振興会特別研究員PD(~2011年)2016年 天理大学文学部歴史文化学科准教授【著書】『戦国期三好政権の研究』(清文堂出版、2010年)『三好長慶』(ミネルヴァ書房、2014年)『三好一族と織田信長』(戎光祥出版、2016年)『荒木村重』(戎光祥出版、2017年)『松永久秀と下剋上』(平凡社、2018年)『列島の戦国史4 室町幕府分裂と畿内近国の胎動』(吉川弘文館、2020年) 『三好一族 ―戦国最初の「天下人」』(中央公論新社、2021年)【編著書】『論集戦国大名と国衆10 阿波三好氏』(岩田書院、2012年)『戦国遺文 三好氏編』全3巻(東京堂出版、2013~15年)『松永久秀』(宮帯出版社、2017年)など【論文】「織田信長の上洛と三好氏の動向」(『日本歴史』815、2016年)「政治秩序にみる三好政権から織田政権への展開」(『織豊期研究』19、2017年) 「戦国時代の日本国王と海外貿易」(『ビブリア』155、2021年)など
私の大学や大学院への進学の動機は、当初は学芸員でしたが、研究を進めるうちに大学教員に変わっていきました。 卒論は、織田信長と本願寺が戦った大坂本願寺合戦のなかでも、有岡城主(伊丹市)の荒木村重について取り組みました。修論から博論は、近畿と四国を支配した三好氏について研究し、その重臣松永久秀が治めた大和にある大学に勤めています。市大の仁木ゼミの思い出は、いろいろと強烈なものがあります。 一つ目は、学内の研究報告は徹底的にやります。定刻になれば終わりではありません。史料解釈や論旨に不明確な点があれば議論を尽くし、休憩を入れて延長戦、時には晩御飯を食べて再延長戦もありました。最初は面食らうかもしれませんが、自分の名前で論文を発表するということは、書いた内容について、自分が全責任を持つということです。研究者は基本的に会社の看板で仕事をしたり、組織に責任を転嫁したりはできません。厳しい批判を受け、説得的に伝える練習は必須です。 二つ目は、発信する意欲と力のある先輩・同期・後輩の存在です。いくら頑張って勉強し、すごいことを頭の中で考えていても、外部の学会で発表したり、論文として執筆したりしないと、何もしていないことと一緒です。大会発表で輝いている先輩や、どんどん研究を進め危機感を煽ってくる同期・後輩が、目の前にいることは、とても刺激を受けます。 三つめは、そうした発信について、ほったらかしではなく、適切な指導やアドバイスを得られることです。投稿を考えている論文は先生に添削され、赤ペンどころか、青ペンや、緑ペンまで使ってダメ出しされることでしょう(私だけ稚拙な文章を書いていたのではないはず…)。まずはへこむと思いますが、それはきっと愛情の裏返しです。 四つ目は、体力が必要です。合宿や遠足は様々な史跡を訪れます。その中には、きっと中世山城があると思います。当たり前ですが、簡単に登り下りできるのであれば、城郭としての用をなしません。中世人のパワフルさを実感してください(でも岐阜県の大桑城はトラウマです)。また、先生と遺跡をまわれたのは、文化財審議委員の仕事や企業の文化事業を進める上で役立っています。
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