ACTIVITY REPORT

2023年4月19日

アルゼンチン出張記(石沢武彰)

 蛍光ガイド手術の情報交換をすることを主な任務として、アルゼンチン外科学会に参加してきた。第92回ということなので、相当に歴史のある学会である。正直に告白すると、最近は「海外、もう行かなくてもいいかな・・・」とためらってしまう弱気な気持ちがあるのだが、最終的には「やっぱり行って良かった!」となるのが国際学会である。カタコトの日本語で「コニニチワ」、「アリガトゴザマス!」と話しかけてきたチリやパラグアイのDr、「日本の○○先生は私の恩師です。当然知ってますよね?(僕はぜんぜん知らない・・・)」と、とても親切にしてくれたDr—このような、体温を感じる交流ができるのは、日本の諸先輩方が外国人医師と丁寧に交流を深めてきたからに他ならない。自分も後輩たちのためにそうありたいなあ。

 南米の外科医だけでなく、米国外科学会の重鎮たちと率直にお話できたことも収穫だった。発表はほとんどスペイン語だったので理解できなかった点も多いが、「ロボット支援手術の費用対効果には懐疑的な医師は依然として多く、日本でも特に『手術時間』を意識しなければ決して国際的に評価されない」こと、「Surgical Ergonomics(外科医の健康)が注目されいて専門の学会も発足した」ことなどはとても興味深い。

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  実は、ここブエノスアイレスは、今や世界中に広まっている感のある「蛍光ガイド手術」にとってメモリアルな場所である。2010年、同じ地で開かれたIHPBAという学会で、僕は「蛍光胆道造影を使ったラパコレ」を初公開した。物珍しさからかBest Videoというセッションに採択してもらえたのだが、当時はこの1題しか術中蛍光イメージング関連の発表がなかったし、かなりキワモノ扱いされている雰囲気を今でも思い出す。

 しかし、偶然このセッションを聞いていた好奇心旺盛なアルゼンチン人外科医、Dr. Fernand Dipがこの技術にピン!と来て、やがて彼が米国Cleveland Clinic Floridaに異動したときのボスProf. Raul Rosenthalもピン!!と将来性を察知したことが、2014年の国際蛍光ガイド手術研究会(ISFGS)の発足と、その後の発展につながったのだから面白い。当時の僕はそんな将来を知る由もなく、世界で一番おいしいステーキ(個人の感想です)を提供するレストラン―夜中にスラム街と線路をダッシュで横切らないと辿り着けないのだが―に4泊中4回通って満足していた。当時の出張の帰路は12+14時間ほぼぶっ続けのフライトとなり(当然エコノミークラス)、冗談抜きで臀部に褥瘡ができる寸前になったのだが・・・。

 

 さて2022年の今回、ビジネスクラスの恩恵にあずかれるようになったことにはは感謝しかないのだが、「実は学会場はブエノスアイレス市街ではなく、空港から500km離れた海岸の町Mar Del Plataにある」という衝撃の事実を知ったのは到着直前だった。果たして、ブエノスアイレスまでの飛行機を降りてから更にタクシーで4時間!、しかも、睡魔から逃れられない無限の一本道を高齢ドライバーが爆走する「4時間」、を経験したのである。初回のアルゼンチンから12年を経た心身の老化と相まって、会場に着いた時にはビジネスクラスの恩恵は吹っ飛び、むしろ大借金状態であった。

 しかも、学会が呼んでいたはずの運転手が、行きも帰りも「見つからない」—これは、もはや国際学会あるある、として緊張感を楽しむしかないですね。そういう楽観の境地に立てば、ブエノスアイレスから東の海岸地帯までドライブできたことは、地球の雄大さを理解するためにはとてもよかった。東京-大阪間と同じエリアが全部草原で、黄色い太陽の下、牛や馬が超のびのびと草をハムハムしている。よどんだ僕の瞳も白内障というわけではない)、このドライブ中だけはきっと青緑色だった、はずである。

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 かなり話が脱線したが・・・、最後にもう一つnon-academicな話を。滞在中に、なんとサッカーW杯で「アルゼンチンが格下サウジアラビアに敗れる」という「事件」が起きた。さらに、アルゼンチンにはドイツ系の人も多いらしいのだが、こともあろうか「ドイツが日本に負ける」、という「大事件」まで起きてしまった。サッカー愛がハンパない彼らの落胆ぷりったるや、まさに絵文字のorzのごとし・・・。僕としては、三段論法的に?「サウジアラビア=日本憎し!」という雰囲気が学会場で醸し出されることを恐れていたのだが、まだ予選しかも初戦だということもあり、何とか無事に脱出!、いま飛行機でこの原稿を書いている。

 その頃日本では、僕が暴動に巻き込まれることを期待している医局員もいたとか、いないとか・・・(笑)

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