社会の変化と共に高まる、金融リテラシーの重要性
2024年4月、金融リテラシー向上を目指す“金融経済教育推進機構(J-FLEC)”(注1)が設立され、8月から本格稼働が始まりました。また、2022年4月には、高校で金融教育が義務化され、資産形成の授業がスタートしています。近年よく耳にするようになった金融リテラシーという言葉ですが、具体的にはどのような知識やスキルを指すのでしょうか。北野先生は次のように説明します。
「私たちは日常生活の中で、さまざまな商品やサービスをお金と交換します。したがって、お金に関する知識や判断力=金融リテラシーは、生活を充実させる力とも言えるでしょう。金融庁の金融経済教育研究会が2013年に取りまとめた報告書では、最低限身に付けるべき金融リテラシーは、①家計管理、②生活設計、③金融知識及び金融経済事情の理解と適切な金融商品の利用選択、④外部の知見の適切な活用の4つとされています」
金融リテラシーが世界的に重要視されるようになった背景には、2008年のリーマン・ショックを発端とした金融危機があります。リーマン・ショック時の教訓として、OECDが加盟国に対して、金融リテラシーに関する国家戦略策定の勧告を行ったことで、日本でも前述の“最低限身に付けるべき金融リテラシー”が定められました。さらに北野先生は、日本の社会のあり方が大きく変化したことにも起因していると指摘します。
「かつての日本では、年功序列、終身雇用といった雇用システムが主流で、『こう生きていけば大丈夫』という決まったライフスタイルがありました。お金もとりあえず銀行に預金しておけば数%の金利がつく時代でしたから、人生設計やお金のことをあまり考えなくても良かったんです。でも今は、生き方や働き方が多様化しています。自分でいろいろな生き方を選択できるようになった分、自分の生き方に合わせたお金の知識が必要になったというわけです」
金融リテラシーが必須となった現代。リテラシーが低い、あるいはあまり関心を持たないことで、どのようなリスクがあるのでしょうか。
「2024年3月には、日銀がマイナス金利政策を解除したというニュースもありましたが、どうしても金融政策の話は、難しくて日常からは遠い話のように思われがちです。でも実際は、物価上昇に合わせて金利が上がろうとしているということは、例えば住宅ローンの金利の引き上げにもつながりますので、本来はとても身近な問題なんです。関心を持っておかないと、知らないうちに生活が苦しくなってくることもあり得ますので、状況に応じて自分がどうすべきかを考え、対応する力を身につけておいたほうが良いでしょう」
(注1) 金融経済教育推進機構(J-FLEC):「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」に基づき、2024年4月に設立された認可法人で、適切な金融サービスの利用等に資する金融又は経済に関する知識を習得し、これを活用する能力の育成を図るための教授及び指導(金融経済教育)を推進することを目的としています。
「どう生きたいか」を軸に考える、パーソナルファイナンス
北野先生は、金融リテラシー教育を行う上で、パーソナルファイナンスを柱としています。パーソナルファイナンスとは、長期的なライフプランの視点での個人のファイナンスを意味します。
「先ほどご紹介した、金融庁の金融経済教育研究会の報告書では、①家計管理、②生活設計の順で金融リテラシーが説明されています。でも私はむしろ、②生活設計が①家計管理よりも先にあるべきだと考えています。もっと言うと、生活設計の前には、『自分がこう生きたい』という人生設計=ライフデザインがあって、それをかなえるための生活設計=ライフプランがある。自分の人生設計があってこそのお金の話なんです。そこを強調する意味で、パーソナルファイナンスという言葉を使っています」
北野先生がパーソナルファイナンスに注目するに至った背景には、2人の偉人の言葉があると言います。1つは、インドの政治指導者・思想家であるガンジーの「地球は、すべての人間の必要を満たすことはできても、すべての人間の欲を満たすことはできない」という言葉です。
「大学院生のときにガンジーのこの言葉に出会って、その通りだなと思いました。『お金はいくらあっても困らない』と言う人がいますが、そんなことはなくて、お金があればあるほど欲望も膨らんでしまうんですよね。お金を追いかけるのではなく、自分が『こう生きたい』という核を持って、自分の人生に必要なお金を見極めることが大切だと思います」
もう1つは、オーストリアの作曲家、モーツァルトの「夢を見るから、人生は輝く」という言葉です。
「ガンジーの言葉を挙げると、『身の丈に合った生活をしよう』みたいな話に聞こえるかもしれないんですけど、決してそういう意味ではなくて。モーツァルトが言うように、夢を持つこともとても大切だと思っています。夢を持った上で、かなえるための計画と、その計画に必要なお金をどう用意するかを考える。それが私の理想とするパーソナルファイナンスのあり方です」
北野先生に影響を与えた偉人の言葉は、私たちがパーソナルファイナンスについて考えてみる上でも大切な道しるべになりそうです。こういった考え方を取り入れることで、私たちの人生はどのように変化するでしょうか。
「外部環境はどんどん変化していくので、自分ではどうにもならないことは、もちろんたくさんあります。でも、自分でどうにかできる部分もある。自分の人生ですから、自分でコントロールできるところはコントロールしようよ、と私は思うんです。パーソナルファイナンスを意識すると、自分の人生を能動的に選択していけるんじゃないかと思います」
玉石混交の情報があふれる中、見極める力が大切
北野先生は、J-FLECの設立や、高校での金融教育義務化といった近年の動きに期待を寄せつつも、金融リテラシー教育の普及にはまだまだ課題もあると話します。
「私が金融リテラシー教育を研究し始めた頃は、金融教育の必要性を強く訴えていましたが、最近では教育が要るか要らないかといった議論はなくなり、必要性は十分に社会に浸透してきました。そういう意味では、自分の役割は半分終わったのではないかと思っています。しかしこれからは、金融知識の普及を図る人材をどれだけ確保できるか、担い手不足の問題があると感じています」
最近は、SNSやYouTubeでも、お金に関する情報発信をする人は増えています。しかしその内容は玉石混交であると、北野先生は注意を促します。
「私から見ても有用な情報を話している人もいれば、投資詐欺のような話もある。公正中立な立場から情報発信をしてくれる人は少ないので、どれが本当に役に立つものなのか、見極める力を身につけなくてはいけません」
金融リテラシーを向上し、不確かな情報に惑わされないためには、私たちは日頃どのようなことを意識しておくと良いのでしょうか。
「自分の人生設計において、お金がいくら必要で、そのためにはどれくらいの利回りで運用しなければいけないのか、きちんと計算して理解しておくことが大事です。例えば、老後資金として20年間で3,000万円貯めたいと思ったら、何も運用しなければ毎年150万円ずつ貯めないといけない。でも、4%の複利運用なら、1年あたりの貯蓄額は100万7,000円ほどになります(注2)。こうやって具体的にシミュレーションしておけば、高い利回りを謳うような儲け話もあまり気にならないかなと思います」
(注2)将来の一定期間後に必要資金(目標金額)を得るために、一定利率で一定金額を複利運用で積み立てるときの、毎年の積立額を求める際に使用する係数を「減債基金係数」といいます。利率4%で、運用期間20年間の「減債基金係数」は「0.03358」で、目標金額3,000万円を得るために必要な毎年の積立額は、3,000万円×0.03358=1,007,400円となります。
何も運用せずに貯めるのと、運用しながら貯めるのでは、前述のシミュレーションにおいては年間50万円もの違いがあると、北野先生は説明します。
「このように、うまく運用すれば年間に使えるお金が増える場合もある。だから、先のことを考えて今は我慢する、といった発想ではなくて、資産運用が今の生活の充実にも実はつながっているんです。今の生活も将来の生活も、どちらも大切にしようとするのが、パーソナルファイナンスの考え方です」
より豊かに生きるために不可欠となる、金融リテラシーやパーソナルファイナンスの考え方。最近では、公的機関による小学生向けの金融教育プログラムも増えつつあります。子どもにも伝えていくためには、どのようなアプローチが有効なのでしょうか。そう尋ねると、北野先生は「子どもに対する金融教育は、私も今まさに8歳の息子に実践中です。これが正解なのかわからないですけど」と笑いつつ、こう答えてくれました。
「身近にいる学生にアンケートをしたところ、子どもの頃にお年玉を全額保護者に預けていた人よりも、自分自身で管理して使っていた人のほうが、金融リテラシーが高い傾向がありました。もし無駄遣いしたとしても、それも経験だと思って、子どもが自分で身をもって知ることが重要なのではないでしょうか。自分で考えてやらせてみることの大切さは、金融リテラシーだけでなく教育全般にいえるのかもしれません」
大人も子どもも、まずは学んで自ら実践してみる、その繰り返しによって、金融リテラシーの向上につながっていくのでしょう。最後に、金融リテラシーにおいて、北野先生が今後取り組んでいきたいことを伺いました。
「今年1月に『学生に読んで欲しいお金の攻略本 ―ゼミ生と考えた金融リテラシーのすゝめ』という本を出版しました。この本は、ゼミ生たちのアイデアを取り入れながら、毎年改訂していきたいと思っています。今後は、高校の授業で金融リテラシーを学んだ子たちも入学してきますし、社会全体としても金融リテラシーが底上げされてくるだろうと思いますので、それに合わせてアップデートしていきたいですね。最近は、中小企業の経営者が金融を理解していないケースが意外に多いという課題も見えてきたので、経営者の意識が変わるような情報発信もしていけたらと考えています」
プロフィール
経営学研究科 グローバルビジネス専攻 准教授
経営学研究科 グローバルビジネス専攻 准教授
博士(商学)。1999年神戸大学経営学部会計学科(夜間主コース)卒業。民間企業勤務を経て、2003年大阪市立大学(現大阪公立大学)大学院経営学研究科前期博士課程入学、2008年後期博士課程修了。2020年4月より現職。2013年4月より「金融経済教育を推進する研究会」研究委員、2018年4月より日本FP学会幹事を歴任。著書に『学生に読んで欲しいお金の攻略本 ―ゼミ生と考えた金融リテラシーのすゝめ』(2024年、パブファンセルフ)など。
※所属は掲載当時