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2021年10月21日
大阪府立大学名誉教授 堀江珠喜
今年初め、帝国ホテルが格安アパートメント30泊(税・サ込で36万円)プランを発表し、巷の話題に。昨年3月末に定年退職した私だが、コロナ禍で、自分へのご褒美海外旅行も行けず、かわりに今年7月中旬から30泊、単身で滞在した。 オプションで、30日定額制(6万円)のルームサービスが利用できる。メニューは限定的だが、11時から22時まで、何度でも電話注文できて、真っ白なクロスで覆ったワゴンに料理が、一輪のバラとともに、うやうやしく運ばれる。食後、連絡するとすぐに引き取りにくるが、自分で廊下に出してもいい。驚いたことに、出して5分前後で、ワゴンは消えている。監視カメラでチェック?と早合点したが、見回り係によって片付けられるらしい。
コロナ禍なので、客たちとは黙礼、あるいは簡単に挨拶するだけだが、単身滞在の女性たちの表情が、男性たちに比べてとても明るいことに気がついた。 そりゃそうだ。家でなら献立を考え、買い物に行き、調理し、皿洗い。そして食器棚に入れる。これらの作業から解放され、掃除も人任せ。洗濯は30日定額オプションもあるし、全自動洗濯乾燥機設置の共同部屋も利用できる。私の場合、化繊の衣料が多いので手洗いで風呂場に干せば、すぐに乾く。 そう、ここは家事世界から脱出した女性の極楽だったのだ。 それにしても、なぜ、21世紀にもなって、日本では女性に家事が押し付けられるのだろう。
《洗濯日和情報は必要か?》
テレビの天気予報で、いつの頃からか「洗濯日和情報」が付け加えられるようになった。明日は快晴だから洗濯物がすぐに乾きますよ、という「大きなお世話」情報だ。 これは、朝から洗濯をするライフスタイルを前提としているのだが、多くの労働者に、そんな時間的余裕はあるまい。仮に出勤前、マンションで早朝に洗濯機を使えば騒音苦情が出るに決まっている。いつまでメディアは、「専業主婦」常駐家庭が「ふつう」と想定して報道するつもりか。 私が知る都市部の若いカップルの場合、洗濯は夜。干すのは乾燥機能の備わった風呂場。天候に左右されず、自分都合で洗濯できる。(ちなみに料理は彼、洗濯は彼女、という分担とか。) 我々夫婦も、40年前に結婚したときから、乾燥機を使用。新婚当時は大阪市内のマンションにいたのだが、ベランダの手すりが煤煙ですぐに汚れるような場所で、洗濯物を干す気にはなれなかった。 太陽光線で殺菌、のつもりでも、汚い大気に触れた洗濯物はどうなる? 間もなく芦屋に転居し、空気が美味しいような気はするが、付近の交通量から考えても、洗濯物が煤煙で汚れるに決っている。 現在のマンションは、築50年だが、半世紀前から景観上の理由でベランダの洗濯物干しは禁止。そのかわり屋上に専用スペースがある。もちろん我が家は、太陽ではなく乾燥機に頼っている。 そして結婚以来、洗濯は、原則、夫がする。手洗いも含めてだ。話し合って分担を決めたわけではなく、あくまで「自然に」そうなったのだが。
《洗剤のコマーシャル》
美しい「奥さん」がこの香りの良い製品を使って、ああ、快適!みたいな洗剤のコマーシャルが多すぎる。そりゃ『桃太郎』の頃なら、婆さんが川で洗濯しだだろう。だが、爺さんが、もはや山へ柴刈りに行かない時代に、女性に洗濯を押し付けようとする企業の態度は無礼だ。 広告代理店がそんなスタンスでいるから、男性と統一賃金で働くキャリア女性は、結婚するのがアホらしくなるのだ。だったら、ときどき帝国ホテルで、のんびりするほうがいいに決っている。それくらいの経済的余裕のある独身女性は少なくない。 洗剤だけではない。多くの家事関連のコマーシャルには、「美人妻」が登場。たっぷり収納できる冷蔵庫。この調味料で、家族は満足。などなど、私が突っ込めばきりがない。(悪いが、こんなコマーシャル女優の一人が、夫の浮気で離婚したときには、心の中で私はバンザイした。そう、妻の優れた家事能力が夫の誠実さに直結するわけではないのだ。) もちろん男性が料理するコマーシャルもあるが、そこには「男性でもできます」とか「今日は、特別、僕がします」的な、非日常感がでてしまっている。さらに鍋料理の食卓では、夫が中心となって、つまり「奉行」として活躍、というのもある。席の場所からして、いかにも「一家の主人」を誇示している。 しかし、これらは、あくまでスペシャルな機会であり、日常的には女性が料理して当然、という前提は崩れていない。 昔「私、作る人、僕、食べる人」のコマーシャルが大問題になったが、そのときの広告制作保守派感性は、今日においても続いているのだ。
《男に頼る!》
家事が好きな女性は、なさればいい。ただし、それはあくまで「個人」としてであって、「女性一般がするもの」と決めてもらっては迷惑だ。それこそ「多様性」を尊重するべきである。 そもそも、なぜ私が大学院に進み、研究者の振りをして数十年過ごし、名誉教授となって老後を送ることになったか? 理由はひとつ。家事が嫌いだからだ。「お勉強」も好きではないが、家事よりは、まだラテン語を学ぶほうがマシだった。(使わないのでラテン語は忘れたけれど。)家事が好きなら迷わず「専業主婦」になっただろう。それが経済的に許される時代だったのだから。というか、どうせ女性は出世できない、高給を見込めないから、配偶者控除などの「特典利用」のほうを狙ったというべきか。 では、なぜ私が結婚したのか? それは、口煩い両親から平和的に離れたかったからだ。私の中では、「結婚=家事」ではなかった。 幸い、(一応は恋愛結婚の)夫も、「家のために仕事を犠牲にしないで欲しい」とのプロポーズの言葉を、今でも守ってくれている。(当時の世間一般は、この逆で「仕事のために家を犠牲にするな」が、働く女性への条件だったのだ。) 婚約中、私の母は、彼に、「娘には、まったく家事を教えていないけど、なんとかなるでしょう。私もそうだったから」と、めちゃくちゃ無責任な発言。いかにも戦前に阪神間で育った「お嬢様」らしい思考回路だ。 さらに結婚披露宴で、私の主賓(神戸大学博士課程在学中の指導教官)は、「堀江さんは、現在、博士論文執筆中なので、くれぐれも家事負担などのないように」という旨の「祝辞(?)」を強い口調で述べてくださった。 このような複数要因のおかげで、結婚当時から、洗濯と掃除は夫。料理は半々に分担している。ここ20年ほどは、皿洗いも夫の役目になった。話し合ったわけではなく、自然にそうなってしまったのだ。 「だって、洗濯機って、どうやって使うのか、ややこしくて、私、わからない!洗剤と柔軟剤って、どう違うの? 椅子が重たくて動かすの大変! 私が掃除しても、どうせきれいにならないでしょ」 頼られた男は、悪い気はしないらしい。ついでながら「熱湯に、麺を入れるの、怖〜い」で、麺類は、彼のレパートリー。こんな調子で油炒め、揚げ物などなど、私に火傷のリスクが及びそうなものは、巧みに「男の腕力」にすがっている。横で私はレタスをちぎる。これは安全。 「ぶりっ子」する女は、だいたい男性に好まれる。その男の習性を利用して「楽」するのが私流。 「ジェンダー論」的には問題があるだろうし、皆様に決してお勧めするわけではないが、男に家事をさせるには、それなりの「方法」がありそう、(「豚もおだてりゃ木に登る?』)ということなのだ。 そのかわり、彼が私の大事な食器を割っても、絶対に文句を言わない。味付けも褒める。「やる気を育てる」は、長年、大学で培った私の得意技だ。
《相変わらず「昭和」なメディア》
半世紀前、多くの日本男子は、「理想の妻タイプ」を問われると「エプロンの似合う女性」と答えたと記憶している。 家庭的で可愛い女の象徴が「エプロン」だったのではあるまいか。昨今は「エプロン男子」という言葉を聞くが、わざわざ「男子」をつけなければならないほど、「エプロン」=「女子」の固定観念が続いていることを表している。 結婚祝いに、私も、友人や後輩からエプロンを数枚もらった。当時としては、ごく普通のギフト選択だ。だが、これらは、40年後の今でも、ほぼ新品のままである。なぜなら、夫が私の「エプロン姿」を好まなかったのだ。私と結婚したがったくらいだから、「従順で家庭的な妻」より「社交的で自分の世界を持つ派手な女」像を求めたのだろう。蓼食う虫も好き好き、なのである。 だから新婚時代、「二人の年収を合わせて1千万になったら、家事のプロを雇う」と話していた。だが、1千万円を超えても、とてもじゃないが、そんな経済的余裕はなかった。(それほど人件費は高い、ということだ。) まあ、それでもDINKSの家事内容などしれているが、いわゆる日本の標準世帯とやらの夫婦&子供二人家庭なら、どれほど大変な負担が妻にかかっていることか。テレビが液晶薄型に進化しても、茶の間での役割は相変わらず「昭和」のまま、なのではと推測する。 しかも、その最新型テレビが流す報道番組のコメンテーターたちを見ても、ちょっと硬派の番組だと、出演者は男性ばかり、ということも珍しくない。メインの司会は、男性で、アシスタントは女性。社会での役割分担そのものである。 さらには、司会者や男性コメンテーターたちは、シニアでもハンサムでなくても、髪の毛があってもなくても登場させてもらえるが、女性アシスタントは若い美形に決っている。報道番組ばかりではない。画面に登場する天気予報士だって、気がつけば、「おっさん」、「にいちゃん」、「お嬢さん」のいずれかなのだ。 「お嬢さん」年齢を過ぎたら、ステイホーム。結婚しなくても、目立つ場所でウロウロするな。貴女たちは、しょせん男性のサポート役なのだよ、と、毎日、テレビが伝え、茶の間の皆様を洗脳し続けている。 私としては、総務省の役人が、放送業界からどんな接待を受けてもかまわないが、男女平等に労働の機会を与えようとしないメディア体制にも、それを放置する行政にも腹が立つ。
《家事アイデンティティ》
このようにして、事実上、男性中心社会に居場所のない女性が、「家事」によって自分の価値を確認したくなるのは、当然の成り行きだろう。 すると「男子厨房に入るべからず」と、台所を独占し、「主人は、カップラーメンくらいしか作れないのよ」と、「愚痴」を装った「自慢」をする。 実際は、夫が料理に興味を持ち、台所を覗いても、「邪魔!」と追い払う女性を数名、私は知っている。 自己満足で止まっていればいいが、やがては「家事の苦手な女性」を非難することにより、自分が上に立とうとする場合もある。「聡明な女性は料理が上手」なのよ、と。 誤解を恐れずに言わしていただくなら、日本男子が家事をしないのは、「させない女性」にも責任があるということだ。 それはまず、完璧な専業主婦ママが、息子を育てるとき、家事手伝いをさせないどころか、むしろ「そんなことしちゃいけません」的な態度だったかもしれない。もちろん、毎晩遅く帰り、土日はゴルフの夫も家事とは無縁の家庭で育った息子は、それが当たり前と思い、結婚相手にもそんな「専業主婦ママ」像を求める。 その点、私にとってラッキーだったのは、夫が中学一年のときに実母と死別していたこと。家政婦は雇われていたが、24時間、365日勤務というわけにはゆかないから、育ち盛りの少年は、夜食のラーメンくらいは自炊することになる。つまり私が中学・高校の家庭科の時間内でのみ実行していた料理を、夫は実生活で早くから自発的に行っていたのだ。もし義母が生きていたら、そうはならなかったかもしれない。 ただし、大学時代に下宿など、結婚前に単身生活を経験した男子は、最低限の家事はできるようになっている。大阪府立大学の男子学生で、「料理が好き」と豪語する者は少なくない。 このような男性を結婚した女性が、巧く、家庭内で彼らを使えれば、妻の家事負担過多問題は解決するだろう。ところが、女性のほうが、さまざまな理由で、これに戸惑っているように思われてならない。その理由を、思いつくまま挙げてみる。
1,自分の母が専業主婦ママだったので、その価値観や習性の呪縛から逃れられない。 2,自分とは違うやり方をされるのがストレス。だったら自分がするほうが早い。 3,自分より高給を稼ぐ夫に、あれこれと家事を頼みにくい。 4,先述のメディアを含め、社会的に、「家事は女性」、「エプロンは女性」と洗脳されている。 5,同性に対して、自分の家事能力を自慢し、多くの女性を見下してきたため、夫の分担にシフトできない。
「女の敵は女!」という方がいるが、私は、そう思いたくない。だが、確かに、女性の個人的な価値観が、他の女性にとって、極めて迷惑、不愉快、ということはある。(もちろん、この拙文で、そんな気持ちになられたなら申し訳ないと思う。) 家事なんぞの家内のことは、他人が干渉するべきではあるまい。 だが、その昔、私より年長の「専業主婦」たちは、若くて家事苦手の私について、「ご主人が可哀そう」と、繰り返してコメントしてくれた。その言葉の裏には「自分たちは家事・育児をこなす完璧な妻」としての自負があり、いっぽう私自身のアイデンティティは「文学者」だったから、家事能力についての批判は全く気にならなかった。 私の強気を支えてくれていたのは、夫の言葉「貴女の家事に換金性はない。稼ぐことが大事」である。 だが、仕事を頑張っても、家事を疎かにするのは「女として失格!」との同性の非難に、真面目な女性は落ち込み、自分を責め、疲れ切ってしまう、というのが、私と同世代には多かったのではあるまいか。もしかしたら、今でも、そんな風潮が、地域によってはあるかもしれない。 誰にとっても、1日は24時間しかないのだから、それをどう使うか。自分の時間を確保したければ、他人に仕事を任せる、夫に家事を、は、当たり前。 私は「協力」という言葉は嫌いだ。夫が家事に協力する?冗談でしょう。生活している限り、既婚でも非婚でも、「家事」は付き物。「ヘルプ」ではなく、夫も主体者としての自覚を持ってよ、と思う。
《最後に》
定年退職の1年くらい前から、私は、非常勤講師控室で、親しくなった若手の女性の先生に、「簡単なポテトサラダの作り方」など「時短料理」を、語るようになった。 3年前の夏、世間で「ポテトサラダ中毒」が話題になり、料理研究家のシニア女性がテレビで「私は、ポテトサラダを作る日は、朝早く起きます。湯がいたポテトをつぶして、団扇でパタパタと冷ますのに時間がかかりますから」と、コメントするのを聞いて「昭和中期以前!」と、可笑しかった。 私の場合、じゃがいもは電子レンジで加熱。皮はすぐに剥け、つぶすのも簡単。そして冷凍庫にゴロゴロしている保冷剤を使えば、団扇など不要。加熱済みのいちょう切り人参を、常時、冷凍保存しているので、それを熱々のポテトに入れれば、瞬間に冷える。冷蔵庫保存のゆで卵とハムも加えて、調理時間は30分足らず。 「早速、作ったら、子供が大喜びでした」と、翌週、お礼を言われた。 家事苦手の私が、偉そうに若い女性研究者に調理を講じるなんてと、笑ってしまう。だが、よくよく考えると、男性の先生を相手にしなかった私の態度には、問題あり、なのだ。 やはり、私のなかでも、日頃の料理は、女性が担当するもの、という固定概念があったに違いない。大いに反省している。だけど、ポテトサラダは美味しい。
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