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2020年12月11日
大阪府立大学名誉教授 堀江珠喜
目次
《三島由紀夫の天皇論》
《税金の使われ方》
《1億4千万円考》
《妻のカネが目当ての結婚》
《旧勢力の陰謀私論》
《今こそ多様性の実践を》
《付録・またはあとがき》
たとえ隣家の娘が駆け落ちしようが、山中で情死しようが、私には興味がない。(私が住むマンションから飛び降り自殺されたら、物件価値が下がるので腹立たしく思うだろうが。) だが、皇族の行為については、「納税者」として、無関心ではいられない。よくも、自分たちに都合の良いときだけ、憲法第24条を持ち出してくれたものである。 皇族は日本国民ではない。従って、憲法に守られないかわりに、国民には叶わぬ夢のような特権が与えられている、というのが私の理解だ。でなければ、我々の税金で、贅沢三昧の生活を当たり前のように送るな!と、生卵でも投げつけてやりたいが、食べ物を粗末にするのは私の主義に反するので、この場を借りて、議論したいのである。 そもそも、この「結婚」には、感情的「反対」で、論理的「賛成」と、私の中でも矛盾があり、あれこれと複雑な気持ちと意見が混ざり合う。 従って、この騒動を契機に、自分の頭を整理しつつ、現代における日本女性の生き方を提議できたらと思う。いつものように、皆様には、この暇な年金ババアの戯言にお付き合いいただければ幸いである。
先日、三島由紀夫の没後50年の日を迎え、少しだけマスコミも話題にした。彼は、昭和天皇による人間宣言を痛烈に批判した文化的右翼思想家だ。かつての私は、三島の時代錯誤的感覚をせせら笑ったものだが、年金ババア年齢になると、こう思うーー「人間宣言をするくらいなら、天皇制をやめたほうがよかったのではないか」 そう、私は天皇制反対論者ではあるが、制度がある限り、皇族には、身分相応の言動を求めたいという理想主義者でもある。 おそらく、三島が皇室に対して抱いていた理想が、「開かれた皇室」や週刊誌のグラビア皇族、果ては「お車代」目当てのテープカットの宮様などと、どんどん崩されてゆき、あのような批判に至ったと推測する。 それが昭和中期だ。それから後期、平成、令和となり、もはや、あの一族から、かつての「皇族」らしさは消えつつある。その「集大成」が、M内親王の「結婚」なのだ。最も皇族らしくない女性が、結婚により、皇籍から離れ、結果として皇族の人数が減るのは、誠に結構な話ではないか。(M内親王とK氏の結婚賛成!)
しかも、彼女の「結婚」騒ぎにより、しばらく「女性宮家」設立の話も消えるだろう。M内親王が新たに宮家を設立し、K氏が皇族扱いされるなど、国民はもとより、三笠宮系の皇族や旧皇族、旧華族などが我慢するはずあるまい。 さらにはK氏と縁続きになることを好まない名門(いや、名門でなくても嫌な方が多いだろうが、そんな方々)から、他の内親王や女王との婚姻も遠慮され、彼女らの妊娠適齢期が過ぎてゆき、直宮系の血縁者が減ってゆく。それどころかM内親王の弟だって、結婚できるかどうか怪しい。天皇家存亡の危機だ。(M内親王とK氏の結婚賛成!) もしかしたら、愛子天皇待望者も増えるかもしれない。M内親王の言動は、ひとえに秋篠宮家の教育の失敗である。そんな家の出身者が天皇に相応しいのか。それよりK氏が、将来の天皇の義兄になるのはいかがなものか。そう考える者は少なくないはずだ。これで女性天皇論が再燃すれば、(天皇制反対論者の私としても)嬉しい。(M内親王とK氏の結婚賛成!) なんだか、すっかり私はこの結婚に賛成している。
宮内庁のホームページでは、予算について記されて入るが、とてもそれで天皇や皇族にかかる費用が賄えるとは思えない。「桜を観る会」とは何桁も違う金額が、我々に知らされずに動いているはずなのだ。それが、なんとも私には気持ちが悪い。
かつて皇族に嫁がせる家は、その支度はもちろん、毎年、宮中のすべての職員に付け届けをし、外遊で宮妃の費用は実家持ち、と大きな経済的負担を覚悟しなければならなかった。それで、自分の娘に白羽の矢が立ちそうになると、「宮様よけ」のために、急いで他家との縁談をまとめ、財産を守ったのだ。
明治までは、側室制度もあったから、皇族に生まれる子供の数は多く、門跡として寺に入れたり、養子に出したりして、なんとなく皇族構成員が増えすぎないように調整していた。いざ直系に跡継ぎが不在の場合に備えられた四親王家以外は、臣下に降らせもした。もちろん平均寿命も短く、夭折も多かった。興味深いことに、皇太子以外の皇族より、五摂家当主のほうが、格上であり、藤原家の勢力がうかがえよう。
ところが、明治政府は、国家神道を確立するため、廃仏毀釈の流れで寺に入った皇子たちを還俗させ、彼らのために宮家が創設された。また、天皇の娘には、もはや門跡として尼寺に入る選択肢はなく、皇族と結婚することになり、そのために、本来なら皇族にはとどまれない庶子が、ラッキーなことに、ちょうど年齢的に都合が良いというので、新宮家を設立してもらい明治帝の娘と結婚した。(内親王との結婚のおかげで、一生安泰な生活を送れたのだから、彼らの子孫はK氏の悪口など、本来は言えないはずだ。)
こんなふうに皇族のため、明治時代から敗戦までは、我々の税金が薩長を中心とした政府によって使われたのだ。さらには、公爵家は、皇太子妃を出す可能性が高いため、これまた経済的に優遇されていた。もちろん、我々の税金が回されたのである。あるいは、本来は国民のために使われるべきお金が、回された、というべきだろうか。飢饉のために、貧しい農家の娘たちが女郎屋に売られるのが日常だった時代である。また、貧しい農家の次男以下の男子は、口減らしも兼ね、志願して戦地に赴いて死んだ。 敗戦後、進駐軍が天皇制に目をつけたのは正解だった。少なくとも、直宮家以外の皇族と華族制度を廃してくれたのだ。とはいえ、旧皇族と上級華族当主には生活に困らぬよう、間接的にせよ、経済的援助システムがあると、考える。たとえば日本赤十字社や山階鳥類研究所などだ。 このようなグレーゾーンが、私にはたまらなく不愉快である。 それに比べれば、M内親王に与えられる(我々の税金から出る)1億4千万円のほうが、明確で気持ちが良いとすら思う。これが、本当に皇室との手切れ金になるならば、だが。
私個人としては、この金額について複雑な思いがある。14年前に母が亡くなったとき、ちょうど遺産がそのくらいだったからだ。ただし、そこから相続税を払わねばならないから、実際の受け取り金額はかなり減った。 M内親王の場合、これに課税されない。正直に言うと、不愉快である。 しかし、東京の一等地にある新築マンションで、この価格で購入できるのは(不動産取得税も払い、 家具や電化製品も揃えるとなると)、60平米以下だろう。私の住む兵庫県芦屋市でも、新築のちょっとマシな物件なら、90平米くらいだ。 本来、この金額決定にあたり、当然ながら住居購入を念頭には入れていない。内親王の結婚相手が、その社会的地位に相応しい邸宅を用意するはずだからだ。従って、このお金は、今後の衣装代、みたいなつもりだろう。(ハリー・ウィンストンに行って、消費税込みで1億4千万円の良質ダイヤモンドを見せてもらえば、その小ささに驚くに違いない。ニューヨーク本店のガラスケースに、ふつうに並べてある見事な20カラットのDカラー、無傷の石で、15億円ほどだ。)
敗戦後、天皇の娘は、皇族以外の男性と結婚できるようになった。とはいえ、昭和天皇の娘の場合、皇族でなければ(元)華族、しかも第三皇女・和子の相手は旧五摂家のひとつ、鷹司家の当主・平通(としみち)だった。この縁談について、後年、平通の母親は「私どもの家柄がこんなふうだから、あんな娘を押し付けられて!」と、不満を漏らしていたと、上流夫人相手の手芸教師から、私は聞いた。 ちなみに講談社現代新書で出した拙著『純愛心中』に詳しいが、平通は、銀座のバーのマダムと、彼女の自宅マンションで、心中することになる。ガスストーブ不完全燃焼による一酸化炭素中毒での事故死と報じたマスコミもあるが、東京ガスは、検証の結果、ガス器具の不具合説を否定している。菊のカーテンは、都合の悪いことを隠そうとするものだから、私は「心中」と考える。 まあ、好きな女性との交際を宮内庁から禁止され、押し付けられた妻と暮らし続ける虚しさから、自殺をするのは構わない。鷹司も公爵家時代、相当に国民の税金の恩恵を受けてきたのだ。内親王との結婚くらいは我慢するか、愛する水商売の女性と死ぬか、どちらでも、お好きに。 問題は、その数年後から亡くなるまで、鷹司和子が赤坂御用地に暮らしたことだ。このときの生活費は、どこから出たのか。そう思うと、今回も、1億4千万円で終わり!にならず、ダラダラと我々の税金が使われ続ける不安を抱かずにはいられない。
妻のカネ目当ての結婚など、珍しくもない。英国の人気テレビドラマ『ダウントン・アビー』だって、ユダヤ系アメリカ娘の持参金およびその後の実家からの経済的援助目当てで、伯爵は結婚したのだ。そのような手段によらねば、体面の保てる生活が営めなくなったからで、これは、多くの英国貴族に共通した状況だった。
私が学んだ神戸女学院の同級生でも、トップクラス家柄の「お嬢様」方のなかには、古い言い方でいえば無産階級、つまり経済的にはかなり劣る家庭出身の男性と、親族の反対を押し切って結婚した者も複数いる。彼ら自身は真面目だが、ふつうの給料を稼ぐだけで、元お嬢様方にとっては、かなり生活レベルを下げた暮らしをしなければならない。 大学から神戸女学院に入ってきた和歌山のご令嬢は、親が整えた代議士の息子との縁談から逃れるため、恋人のいる東京へ。結局、まだ学生の彼との同棲を続けるため、彼女は大学を中退して働き始めたとか。 そういえば山崎豊子著『華麗なる一族』の次女・二子も、神戸女学院大学英文科卒で、総理夫人の甥との結婚を断り、家柄の釣り合わない男性を選んだお嬢様だ。 結婚相手は、決して彼女の実家の財産目当てではないが、法律上、彼女は父親の死後、かなりの相続財産が期待できる。私の同級生のお嬢様方も同様だ。夫の収入は少なくても、親さえ亡くなれば、資産家になれるのだ。
従って、K氏が、結婚相手の女性の持参金を目当てにしても、一向に構わない。 私が苛つくのは、それがM内親王や彼女の実家が額に汗して稼いだものではなく、あるいは母親の実家から贈られるものでもなく、我々の税金から出されるからだ。特に、コロナ禍で、失業や倒産が増えている時期に、自動的に我々の税金から1億4千万円が払われ、おそらくはそれ以上の費用が、さまざまな儀式に当てられると思うと、感情的に「ムカつく」のである。 しかし、そのようにして、日本国民に反皇室感情を抱かせるK氏は、私のような反天皇制論者にとっては、理論的には歓迎すべき男性だ。 だが、なぜだか、まだ金銭スキャンダルが暴露される前の、最初の婚約内定記者会見のときから「好きになれない」というか「嫌なタイプ」というのが、私の矛盾する感情なのだ。(あの記者会見のときの私の疑惑めいた不快感は、そう、あのスタップ細胞発表時の小保方晴子氏の笑顔に覚えた気持ちに似ている。)
それにしても、会ったこともないK氏に、なぜ、これほどの嫌悪を感じるのだろうか。ここからは、あくまで私の推測と想像の域から出ない話だが、仮説として記しておきたい。 400万円のスキャンダルについては、確か『週刊文春』の前に『週刊女性』が報じたと記憶している。 以前、私が『週刊女性』にコメント記事を載せていたときの編集者が、1990年代の後半、宮内庁担当に選ばれた。この移動にあたっては、徹底的に身元調査がなされたそうだ。そんな立場の記者たちが、皇室スキャンダルをすっぱ抜くはずがない。これは、宮内庁から「書け!」と命じられたのだろう。 このK氏の借金?スキャンダルで国民がショックを受けたとき、軽薄なコメンテーターたちは、宮内庁がK氏の身辺調査をきちんとせずにいたことを非難した。しかし、週刊誌の担当の適性すら、調べられるのに、内親王の友達が「無審査」のはずがあるまい。 宮内庁は初めから、すべてを把握していたに違いない。秋篠宮に報告をしたかもしれないが、わざと対処法は教えず、陰で冷笑していたとすれば、どうだろう。それこそが、底意地の悪い伝統的公家のやり方だ。
そこで、思い出していただきたいのは『忠臣蔵』。最近の多くの学生は、この物語を知らないのだが、せめて赤穂に近い関西エリアの皆様はご存知であって欲しい。 ともかく、吉良上野介は高家筆頭、つまり徳川家臣たちに対する公家の作法の超一流インストラクターである。当然、高額な授業料にあたる「御礼」は、貰えるはずだし、貰わなくては、彼自身が京都の公家との付き合いに困るのだ。戦のない時代の武士は公務員だから、その給料なんてしれている。足りない分は、その役得で補い、それを必要な交際費に当てねばならぬ。公家たちも、吉良上野介からの付け届けを期待していたはずだ。 なのに、常識的な「御礼」を持ってこない無作法な奴がいた。吉良上野介が具体的に要求しなくても「忖度」できなければ大名の資格などあるまい。だから、自覚を促すためにも、意地悪をした。ちゃんと、他の大名が納めるくらいの「授業料」を出せば、すんなりと教えてもらえたのに、気が利かないので、とうとう切腹、お家断絶となった。 この話の教訓は、「公家には付け届けをせよ」ということと、私は解釈する。そして公家の伝統は、京都で終わったわけではない。東京に移っても、まだ宮中に残っていると考える。
では、当初、M内親王とK氏の場合、どうすれば納采から婚姻までスムーズに進めたのか。 まずは、たかだか400万円など、妃殿下のローブデコルテを1着か2着、発注しなければ充分に浮かせられる金額だ。速やかに口封じし、内定会見などさせずに、そっとK氏を、できれば旧皇族か旧五摂家、無理でも旧公家華族の養子にして、一応のマナーを仕込んだ上で、発表するのだ。 この後から文春砲でスキャンダルが暴露されても、解決されていれば、そして、なおかつ、名門の養子になっていれば、口うるさい連中たちをも黙らすことができる。
私が「公家華族」にこだわるのは、徳川一族で、世が世なら子爵になっていたはずの友人から、こんな話を聞いたからである
「霞会館(旧華族会館、旧皇族、旧王族、旧華族の男性当主と直系の息子だけが会員になれる一般社団法人)ではね、公家華族が大名華族を見下しているんですよ。徳川なんて、どこの田舎の侍だ?という感じです。いっぽう明治になってから成り上がって華族になった連中は、巧く公家にすり寄って、それなりに仲が良いようですが」
まさに三島由紀夫著『春の雪』を思い出すが、華族社会にも先祖によるヒエラルキーがあり、公家華族と大名華族とでは「格」が違うのだ。 名門の養子になれば、K氏の実父の自殺など、問題ではない。昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁殿下の妻、百合子妃の実父・高木元子爵も、経済的理由から失踪して首吊り自殺をし、白骨死体で発見されている。このとき、すでに百合子妃は第2皇子を出産していた。それでも父親の自殺が問題なら、妃殿下の地位から辞するべきだが、そうはならなかった。このときから、皇族において、「自殺」は結婚における正当な反対理由ではなくなったと考えられよう。
それなら、なぜ、このウルトラ級の方法が採用されなかったのか。 元公家華族を中心とした、つまり、かつて美智子妃殿下(拙文では、あえて上皇后ではなく、親しみ深い呼び方を採用する)に反感を抱いていたのと同類の旧勢力が、協力しなかったと考える。 それは、なぜか。秋篠宮妃殿下の実家、川嶋家からの「付け届け」がなく、さらに遡れば、正田家からの「付け届け」は充分にされていたにもかかわらず、美智子妃を自分たちのソサエティに受け入れなかったからではないか。1000年以上続く「公家」たちは、「新参者」を利用しても、「仲間」とは思わないだろう。 天皇制に反対する私でも、美智子妃には敬意を抱く。その超党派の人気が、かえって旧勢力の反感を増幅させたに違いない。世間にはわからないように「公家」は、時間をかけて相手を潰そうとしても不思議ではない。
皇后になる者にとって、重要な任務は2つある。一つは跡継ぎたる皇子を産むこと、そして2つめは、子どもたちに相応しい配偶者を見つけることだ。諸外国のようには「社交界」のない日本で、閉ざされた環境で暮らす若者に「出会い」の機会は極めて少ない。 美智子妃は旧勢力に頭を下げて協力を仰ぐことをしなかった、あるいは、彼女はそうしたつもりでも、その態度が旧勢力の気に入らなかったのかもしれない。だから、大事な皇子たちの結婚相手選びに、支障をきたした。皇女の結婚も遅かった。 前述のように、裕福な名家でも「宮様よけ」をする状況で、経済的余裕があるとは言えない川嶋家から嫁いだ紀子妃に対し、旧勢力は、美智子妃以上に嫌悪感を抱いても当然であろう。秋篠宮家の不幸やトラブルは、旧勢力にとって「蜜の味」のはずだ。 浩宮の結婚についても、旧勢力が全面協力していれば、もっと早期に相手が見つかり、男子が生まれたかもしれない。そうなれば、秋篠宮の内親王が誰と結婚しようが、今ほどは問題にされまい。 前述の子爵になるはずだった友人宅を訪ねた折、質問した。
「なぜ霞会館の会員が、皇太子妃として適切な、お身内のご令嬢を紹介されなかったのですか」 すると、彼は霞会館会員名簿を私に見せながら 「御覧なさい。多くの会員は、ろくな職業に就いていないでしょう。資産もない。これでは無理ですよ」と苦笑い。
もしかしたら、旧勢力は、平民出身の妃殿下たちだけでなく、昭和天皇および直宮家に反感を抱いていたかもしれない。敗戦後、旧勢力はそれまでの皇族・華族としての特権や面目を失い、重い財産税を払わされた。生活が一変したわけだ。なのに、天皇は戦争責任からも免れ、直宮家は存続した。徳川家が政治の実権を握っていたときですら、四親王家はあった。なのに、それすらも廃された。 本来なら、自分たちの身内から妃が選ばれるはずなのに、そのための地位も名誉も財産さえもが奪われ、「平民」と呼ばれることになった。それが1000年以上続いた「公家」に耐えられるだろうか。前述の鷹司平通ですら、「平民」となったのだ。明治まで、鷹司家当主は、皇太子の次(五摂家筆頭の近衛家当主)の次の「格」を持ち、一般皇族よりも上位にあったのに。
なにより「公家」たちは、長年、自分たちが「天皇」を守ってきたと自負していたはずだ。本当は、自分たちを守る口実のために「天皇」を存続させたと私は考えるが。明治維新で、薩長がこのシステムを継承した。だが、「公家」や「大名」にも特権を与えて、成り上がりたちが彼らのソサエティに交じるという方法で、巧みにセレブの仲間となり、財閥たちとともに「天皇」という最強の札を、国民に対して利用した。時の実力者と組むのは、天皇家の伝統でもある。そして不都合になれば、見捨てる。A旧戦犯たちを批判するように。
天皇家は万世一系などと、嘘八百がまかり通っているが、その偽りを最もよく知っているのは旧勢力だ。つまり、さまざまな「からくり」に通じている旧勢力にとって、「新参者」をいじめるのは、素敵な鬱憤バラシに違いないし、折あれば、戦後の皇族の誰でもを、標的にする。香淳皇后(昭和天皇の妻)ですら、昭和後期には、「宮内庁で足りないから」と、彼女の部屋から電話機が持ち去られ、退職した元女官との接触もできなくなったほどだ。この頃なら、香淳皇后の実家にも潤沢な資産はなかっただろうから、「付け届け」も充分でなかったのかもしれない。 三笠宮家出身で、独身ながら桂宮(かつての四親王家の桂宮と区別するため、新桂宮家とも呼ばれる)となった不遇の親王についても、旧勢力はサポートしなかったのではないか。前述のように、彼の母親、百合子妃の没落した実家から付け届けはなかっただろうし、兄のようには富豪の娘を娶ることもしなかった。 桂宮は、学習院時代にクラスメートから「税金泥棒」と言われたことで心が折れ、「自分のように不幸な人間を作ってはいけない」と、非婚を通したとも聞く。それが事実であれば、旧勢力は巷の天皇制反対論者以上に、皇族の生活圏に入り込んで、嫌がらせを続けてくれているわけだ。身近な者にしか知りえないことが、マスコミにリークされるのは、彼らのおかげだろう。今後の動向に期待したい。
一部報道によれば、M内親王は入籍(正しくは婚姻届け提出)を急いているようだが、婚姻届には、戸籍謄本が必要だ。彼女には皇籍はあるが、戸籍はない。自分勝手には動けないはず。なら、駆け落ちして「事実婚」をすればいい。 海外では、婚姻届なしでも、同居期間によって、夫婦と認め、日本で言うところの非嫡出子に対しても差別のない国もある。そこで、二人で自由に暮せばいい。いや、日本で堂々と、非嫡出子を産めば、保守派にとって目からウロコになるかも。 そのような事実婚、あるいは、なんとか婚姻届けを出せたとして、結婚後の収入は? これまでの皇女や旧皇族、旧華族の場合に倣えば、最も単純な方法は、K氏の日本赤十字社勤務。ただし、日本だと目立つので海外勤務。もっとも、旧華族出身でないK氏には肩身が狭そうだ。秋篠宮が結婚を認めた以上、K氏をどこかの在米日本民間企業支社に雇用させる形で、毎月の生活費を出させるくらいはできるだろう。昨年、ある宮妃が、在日系大手企業経営者と会食している姿を、近くのテーブルから見かけた。あれほど親しいなら、韓国系企業に頼む人脈もありそうだ。 しかし、私としては、この際、M内親王が、我々の税金を受け取らず、自分の経歴を大いに利用して稼げば良いと思う。(だったら、結婚賛成!)
『週刊新潮』などでは、「K氏の収入がない」ことを反対理由に挙げる者がいた。これは、結婚するに当たり、男性が稼ぎ、女性が家を守ることを前提とした性差別的考えに基づいている。夫に稼ぐ能力がなくても、妻が収入を得られれば、なんの問題もあるまい。 そのためには、渡米せずに日本にいるほうが有利だろう。まず、ブライダル関連、高級結婚相談所の顧問、女性週刊誌での連載やトークショー。金になると思えばプロダクションも食いついてくるだろうから、コメンテーターとしてテレビ出演すれば、元皇族家出身のコメンテーターなど、吹っ飛んでしまう。 さらには、マナー教室でも、高額の授業料が稼げるし、その関連本も売れるだろう。CM出演だって、依頼殺到かもしれない。元大統領夫人の肩書で稼ぐ方がおいでなのだから、元内親王なら、より格上だ。
そう、巧く行けば、日本の男社会の仕組みに、ちょっぴり刺激を与えてくれそうではないか。K氏は、家庭を守っていればいいのだ。29歳にして、400万円すら用意できないのだから。(ちなみに私は、1986年、32歳で3200万円のマンションを購入するにあたり、1200万円の頭金を持っていた。2000万円は住宅金融公庫から借りた。親からの援助は一切、受けなかった。頼めば出してくれただろうが、ついでに口出しされるのが鬱陶しいではないか。また、夫との共有名義にすると、離婚時にややこしいので、私の個人名義で、すべて私が払った。学生時代や結婚後もマンション購入までに海外旅行で数百万円は使っていたから、27歳まで学生だった私だが、結構な収入があったようだ。そんな私だから、K氏の甲斐性無しには呆れるが、まあ、今の若者はそのレベルなのかもしれない。) 今は多様性の時代、などと言葉ばかりで、どんどん日本社会は保守化しているように思われてならない昨今である。そんなときに、元内親王が、恥も外聞も気にせず、自分たち夫婦の幸せだけを考えて、身勝手に生きてゆくのは、むしろ頼もしい気がする。
いすれにせよ、K氏は、まっとうな人々からは非難され続け、質の悪い連中が、彼を利用しようとカネをちらつかせて寄ってくるだろう。つい、彼はそれに乗せられて…….との青写真も私の頭には浮かぶ。戦後の財産税で没落した旧皇族や、旧華族が遭った悲劇と同じ構図だ。そうならないためには、妻のM内親王が、しっかり稼ぐしかない。 我々の税金が使われないためにも、M内親王を応援しようではないか。ひいては、それが、女性の社会進出の象徴になるかもしれないのだ。そして、皇統を秋篠宮家に移すことへの世論の反対が高まれば、女性天皇の可能性もゼロではなく、日本の象徴が女性になれば、男女平等・同権社会の幕が、やっと上がることになるだろう。 《付録・またはあとがき》
天皇制反対論者の私だが、あくまでマナーを優先させる主義である。 従って、昨年、東京のホテル・オークラで開催されたチェリーブロッサム・チャリティボールでは、午後11時過ぎまでディスコダンスに興じた高円宮妃の退室には、夫とともに拍手で見送った。その頃、9割近い客は、すでに帰ってしまい、会場は閑散としていた。来賓より先に退席するのは、明らかに主催者に対するマナー違反である。 これより10年以上前、三笠宮の信子妃が来賓だったときは、もっと早い時間の退室だったので、このような事態にはならなかったし、マナーを心得た客も多かった。だいいち、ディスコではなく社交ダンスのみのボールだった。しかし、昨年は、欧米の社交界をよく知るはずの、かの元大統領夫人ですら、宮妃を見送らずに、帰ってしまった。ちなみに彼女は、以前の信子妃臨席のボールでは姿を見なかったが。 つまり、よほどの右派か左派でない限り、現在の日本人の多くは、もう皇室には無関心で、おそらく上皇の弟の宮家名すら覚えていない状態だろう。(読者の皆様、ご存知ですか? 常陸宮です。) そんなときに、M内親王は、逆説的に、「皇族とはどうあるべきか」や「税金の使われ方」を我々が考える機会をくれたことになる。このようなことを書いているうちに、私の気持ちは、「反対」から「賛成」に傾き始めた。「崩壊」への「変化」の予感が楽しいのだ。
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