沿革
2022年4月、大阪市が設置運営していた「大阪市立大学」と大阪府が設置運営していた「大阪府立大学」が統合し、大阪公立大学が誕生しました。大阪市立大学は大阪商業講習所に、大阪府立大学は獣医学講習所に端を発し、共に約140年の歴史ある大学であり、水都として交通の要衝であった大都市大阪とともに発展してまいりました。この地の利を生かし、理論と実際を有機的に結合することにより、両大学は大都市大阪で生活する人々が必要とする精神文化の発展や産業と経済の振興を担う中心機関としての役割を果たしてきました。本学はさらなる異分野を融合・包摂した新たな学問の創造と多様な世界市民の育成を目指します。
大阪市立大学の沿革
大阪市立大学は、1880(明治13)年に発足した大阪商業講習所に端を発する140年以上の歴史を持つ大学です。その歴史は、つねに大都市大阪の発展を担うことが期待されながら育まれてきました。大阪市立大学の一番の源流である大阪商業講習所は、そもそも一大商業都市であった大阪における、商業分野の教育を担う近代学校としての役割が期待され設置されました。
その後、第二次世界大戦前に日本で初めて「市立」の大学となった前身の大阪商科大学も、当時の大阪市長だった関一(せき はじめ)のリーダーシップの下、「大都市に必要な精神文化の中心機関」として、および「大都市大阪を背景とした学問の創造」を担う機関として1928(昭和3)年に設立されています。
戦後1949(昭和24)年に、総合大学である大阪市立大学となった際にも、初代学長の恒藤恭(つねとう きょう)を中心に、国際的で文化的な一大産業都市としての大阪における学問の創造や市民の育成を担う、「理論と実際との有機的連結を重視」する大学を目指していました。その後も、大阪市立大学は、「都市型大学」「創造性豊かな都市型総合大学」というコンセプト等を掲げつつ、国際的な大都市大阪との密接な関わりの中で教育・研究を推進してきました。
大阪府立大学の沿革
大阪府立大学は、1883(明治16)年設置の獣医学講習所に端を発します。1949(昭和24)年、大阪府下にあった旧制の7つの専門学校を母体とする「浪速大学」(1955(昭和30)年に「大阪府立大学」と改称)が、同年大阪府女子専門学校を母体とする「大阪女子大学」が、さらには戦前の大阪府立社会衛生院以来培われてきた医療人材育成の流れを受けて、1994(平成6)年に「大阪府立看護大学」が設置されました。
大阪府立大学は、実学を重んじる大学として工学、農学、経済学、総合科学、社会福祉学の各分野において、大阪女子大学は、リベラルアーツの理念のもと、優れた女性人材の輩出や女性学をはじめとする諸領域において、国際的にも高く評価される研究・教育を行ってきました。また、大阪府立看護大学は、少子・高齢化が進展するなか、保健医療ニーズの高度化に対応した質の高い医療専門の高度専門職業人を養成する大学として発展してきました。
これら府立3大学の統合・再編によって、2005(平成17)年に大阪府立大学は新たな一歩を踏み出しました。設立以来人材の養成や研究成果の発信と社会への還元等において、大阪という大都市が直面するさまざまな課題の解決と発展とを実現させるとともに、我が国の学術研究と高等教育の発展に寄与してきました。