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2019年10月17日

  • 商学/経営学
  • 卒業生

学生時代の4年間を有意義に過ごすことが必ず将来の礎になる/モロゾフ株式会社 代表取締役副社長/経営統括本部長 山岡 祥記さん

※本記事は、大阪市立大学Webサイト「ステートメントビジュアル」(2019年10月17日公開記事)から転載しています。掲載されている情報は公開当時のものです。

モロゾフ株式会社 代表取締役副社長/経営統括本部長

山岡 祥記さん

山岡 祥記さんの写真

将来を想定し、それに備え、実行する

市大を卒業後、第一勧業銀行、つまり現在のみずほ銀行に就職しました。みずほ銀行の存在意義は「将来有望な企業を見つけ、育てていく」というもので、私をふくめ行員一同はその信念を常に胸に抱きつつバブル最盛期、崩壊期、金融危機、銀行統合といった激動の時代を駆け抜けてきたのです。
当時、常に念頭にあったのは「問題の根本は何か。どうすれば良い企業にできるのか」という命題。だから企業が抱える問題や解決策を見出すスキルはその時代にしっかりと養われましたね。
現在はモロゾフ株式会社の経営統括という立場にありますが、その時に培った経験を活かし、短期的な思考で経営を考えるのではなく、何年も先の将来を見据えた上で、3~5年の中期的な施策を定めるよう心掛けています。

山岡 祥記さんの写真2

失った小指の先の代わりに得られたもの

市大時代で思い出されることは、やはりヨット部での経験ですね。当時は二色浜でずっと合宿生活を送っていました。大学よりも二色浜で過ごした時間の方が長かったかもしれないくらいですよ(笑)。
入部当初は部員も少なく衰退気味でしたが、私たちの学年以降は部員も増え、少しずつ勢いを取り戻していました。しかし3年生の春、部活動中に小指の先を切断するという大きな事故を起こしてしまったのです。当然その年のインカレの出場も断念せざるを得ませんでした。
両親からは「そんな危険なスポーツは辞めろ」と強く言われましたよ。でも、そこで私なりに考えたんです。指まで無くしてクラブを辞めたら、それで全部終わり。何も残らない。ならば逆にヨット部を続けよう、と決心しました。
引退のレースでは結果を残せず、とても悔しい思いをしました。しかしその苦境を乗り越えたことで精神的にも強くなれたかなと思います。
一方、私が所属していた生川ゼミは体育会の主将クラスが集まる名物ゼミで、全員が学業でも課外活動でも活躍していることが、互いに強い刺激になっていましたね。大学で身に付けた経済学や経営学、簿記などの知識は就職してからも大いに役立ちましたし、リーダーシップのとり方や人間関係の構築方法といった、勉強以外で得られた経験も私にとって極めて大きな成果だったと感じていますよ。

山岡 祥記さんの写真3

とにかく勉強し続ける癖をつける

とにかく、社会人になっても勉強を続けること。この姿勢が何より大切だと思います。社会に出てからの方が時間は長いですから、毎日少しずつでも勉強を積み重ねる癖をつけてください。日々の地道な努力の積み重ねが、10年後、20年後の大きな差に繋がるのですから。
人が社会で活躍できるかどうかは、その人の30代半ばまでの経験や能力でほぼ決まる、と私は思っています。学生時代に色々なことにチャレンジし、4年間を有意義に過ごすことが必ず将来の礎になる。私はそう信じています。