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2021年1月15日

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  • 卒業生

若い時の苦労は大事だ、と教えてくれたのは大学で過ごした日々/社会医療法人弘道会 理事長 生野 弘道さん

※本記事は、大阪市立大学Webサイト「ステートメントビジュアル」(2021年1月15日公開記事)から転載しています。掲載されている情報は公開当時のものです。

社会医療法人弘道会 理事長
生野 弘道さん

生野 弘道さんの写真

自ら選んだ苦難の道

大学時代からこれまで、本当に長い間医療に関わってきました。
私が選んだ脳外科医の道は特に険しいもので、猛勉強する必要があることは言うに及ばず、朝から晩までぶっ通しで働ける体力も必要な、とにかく根性や忍耐力が問われる仕事なのです。様々な逆境にさらされながらも、かっこいい脳神経外科医に絶対になる!という憧れと野望を胸に、仲間と力を合わせ日々一心に過ごしてきました。やがては「医療人として、一人でも多くの苦しむ人を救いたい」という想いが大きくなっていきました。
経験を積んだ私は、大学教員の道は選ばず、1980年に守口生野病院を設立し、「弘道会」として道を歩み始めたのです。自ら選んだ苦難の道ではありますが、その道の先にこそ医療人の本当の喜びがありますから。つまり、症状が緩和され、元気を取り戻して活き活きとしている患者さんの姿を見る、という喜びです。それが医療人として以前に、人として最高の喜びですし、そんな喜びに触れることのできる自分の人生にいっさいの後悔はありません。

生野 弘道さんの写真2

医療はワンフォアオール・オールフォアワン

大学時代はラグビーに打ち込んでいました。
私の時代、医学部ラグビー部は強かったものの、西日本医科学生総合体育大会で優勝には一歩及ばないという時期に私がキャプテンとなり、「このままではだめだ。何とかチームに優勝させないと」という想いが強まって、改めてチーム一丸となり、厳しい練習を重ねたのです。それが功を奏し、ついに念願かなって、5年生の時は同大会で準優勝、6年生の時にはインターM優勝、全国優勝を果たしました。1969年、私の卒業年のことです。その優勝は、これから先の人生に自信と勇気を植え付けてくれましたね。
でも決して天狗にはなりませんでした。なぜなら、ラグビー部時代に「one for all, all for one」という、最も尊い精神を学んだからです。みんながいるから自分が活躍できる。だから自分が活躍して、みんなを一つにする。まさに医療はワンフォアオール・オールフォアワン。

生野 弘道さんの写真3

たくさんの苦労が今の自分の力となった

学生時代に学んだ、ワンフォアオール・オールフォアワン。これは医療人としてももちろん大事ですが、それ以上に社会に生きる人として欠かせない考え方です。この学び・この礎があったから、私は真摯に職務をまっとうすることができ、今ここにこうしているのでしょう。
若いうちの苦労は買ってでもしろ、と言ってしまうとまるで老人ですが(笑)、それでも若い時の苦労はとても大事な経験でした。そして、若い時の苦労は大事だ、と私に最も教えてくれたのが大学での日々だったのです。
私は宮沢賢治の「雨にも負けず」が大好きです。雨にも負けず風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、決しておごらずいつもしずかに笑っている。きれいごとのようにも見えますが、これはまぎれもなく真理だと私は思っています。
医療人として、そして社会を構築する人間の一人として、とても大切な思い、意志。みなさんも葛藤する日々を過ごしていることでしょう。つらい悩みもあるでしょう。でも、だからこそ、それが力になるのです。
大いに学び、大いにつまずき、大いに泣き、そして成長し、大志を抱いて社会に羽ばたいていってください。