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2020年2月12日

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学生時代は、自分自身に不満足であって欲しい/ダイトウボウ株式会社 代表取締役社長 山内 一裕さん

※本記事は、大阪市立大学Webサイト「ステートメントビジュアル」(2020年2月12日公開記事)から転載しています。掲載されている情報は公開当時のものです。

ダイトウボウ株式会社 代表取締役社長

山内 一裕さん

山内 一裕さんの写真

海外におけるビジネスの経験が転換期だった

市大を卒業後の進路として私が選んだのは三井信託銀行(現:三井住友信託銀行)でした。信託銀行員として個人の資金運用、法人の融資、新規事業立ち上げなど様々な経験を経て、30年というキャリアを同銀行で積み上げました。
人生のターニングポイントとなった出来事は多々ありますが、その最たるものは海外での経験といえるでしょう。1987年、語学研修生として半年間ロンドンに赴きました。現地でホームステイして語学を勉強し、その後外資系の証券会社に行き、スワップの勉強をしながら英語も体で覚えていきました。
その後、1994年まで6年ほどロサンゼルスへ。ですから私の場合、日本のバブル期は海外で過ごしているのです。
今思えば、これが私の人生の一番の転換期でしたね。高校・大学まで、私は完全に大阪ローカルの人間でしたから。海外にいって一気に感覚や思考が研ぎ澄まされました。不慣れな異文化に圧倒されながら、その異文化を許容しないと何も先へ進まないという環境で、英語もままならぬ中、ビジネスにおいて相手の意向・気持ちの繊細な部分・機微を汲み取る術や、少ない語彙力を駆使して短いセンテンスで相手に自分の意思を伝える、といった極めて重要な技術を身に着けることが出来たと思います。

山内 一裕さんの写真2

人生のターニングポイントをいかに見定めるか

そうしてキャリアを積み上げ、52歳の時に現在私が社長を務めるダイトウボウ株式会社へ転籍しました。当初の肩書は取締役経営企画部長だったのですが、どうせやるならばさらにこの会社を成長させてやろう。もちろん私が今持っているスキルのすべてを駆使して。そう決めて、ひたすら邁進してきました。
現在は社長のいすに座っていますが、それでもまだまだビジネスパーソンとして成長したいと考えていますし、勉強が足りていないことについても痛感しています。人間、さらなる成長を心から望むのであれば年齢などまったく問題にはならない、というのが私の持論。ですから当社ではいちはやく、定年を65歳まで引き上げています。だって60歳になった途端に能力が下がるなんてわけがないですからね。たとえ何歳であろうと、人間は多くの出会いや経験、出来事や感動を経て変化し、生まれ変わってゆくもの。だから大事なのは、そのターニングポイントをいかに見定めるか?ということなのだと私は思っています。

山内 一裕さんの写真3

大学時代は悩んだり迷ったりすればいい

こうして偉そうなことは言っていますが、市大時代の私は決して勉強熱心とは言えませんでしたね(笑)。それでも真面目に勉強した時期もあり、その勉強の延長線上に信託銀行という道があったわけですが。しかしもっとまじめに勉強しておけばよかったかなと、ほんの少し後悔もあります(笑)。
でも学生時代に余力を残した分、社会人になったらとにかく多くのことを学ぼう、と心に決めていました。実際に社会に出てから得た知識、その情報量はハンパではなかった。だから、そういった意味では市大での経験は社会人として大きく羽ばたくための充電期間として大事なステップになった、とは思っています。
私たちが学生の時代は、一つのことを極めるのが素晴らしいと思われていた節がありました。それも間違いではないのですが、しかし私に言わせると少々前時代的です。逆に今の若者はすごいと思いますね。あれもしたい・これもしたいという好奇心、未知へ踏み出す度胸をもって、マルチタレントに頑張る若者が多くなったと思います。こういうマルチにチャレンジングする気持ちは絶対に持ち続けるべきでしょう。時代は変わっているのです。
大事なのは、ターニングポイントに出会った時に、自分のすべてをぶつけることの出来る力を、学生時代にしっかりと蓄えておくこと。そうすれば道は必ず拓けます。
私は市大で良かったと思っていますよ。学生時代に背伸びせず、のびのびと自由にやれる環境にあるから。皆さんも大いに学生時代を満喫してください。