※本記事は、大阪府立大学Webマガジン「ミチテイク・プラス」(2018年9月25日公開記事)から転載しています。掲載されている情報は公開当時のものです。
今回は生命環境科学域 応用生命科学類 生命機能化学課程 “発酵生理学”の講義にお伺いしました。
本講義の目的は「微生物の基本的な代謝とその調節機構の理解を図り、微生物の機能活用のための様々な原理・工夫への理解を深める事」(シラバスより)となっており、お伺いした当日は第10回目“様々な発酵工程(5)”の授業で、リシン発酵生産について学ぶ回でした。
リシンってなあに?
私達の身体を構成しているタンパク質は20種類のアミノ酸からできていますが、その中には、体内で充分な量を合成する事が出来ないアミノ酸が9種類あり、それを必須アミノ酸と言います。
今回の授業のメイン“リシン”とは、細胞やウイルスへの抗体を構成し、成長や免疫力を向上させる必須アミノ酸です。
余談にはなりますが、映画ジュラシックパークに登場する恐竜たちは、必須アミノ酸であるリシンを体内合成できないよう人間の手によって遺伝子操作されています。万が一、肉食恐竜たちがパークを逃げ出しても、リシンを与えない限り死亡してしまう事で安全性を確保していたとか……
そんなリシンの講義です。
講義後に、担当をされている片岡道彦先生から講義のねらいをお聞きしました。
まずは、そちらからご紹介します。
ー本講義を通して、学生に伝えたい事はなんですか?
授業でもお話ししましたが、微生物は人間の為に働いてくれるわけではないんです。
生物のシステムとはコントロールが実に良く出来ていて、本来では作ることのない量を沢山作ってくれるように仕向ける工夫を日本の研究者はやってきました。
この歴史はとても面白いですね。
ー日本と海外との微生物に対する捉え方の違いはあるのでしょうか
海外では微生物というと病気の原因で、どちらかというと悪者扱い。日本では酒造りやつけもの、味噌など微生物と仲良くして美味しいモノを作ってもらおうというのが経験的にあると思います。
今回のリシン発酵生産はまさに微生物と仲良くして、リシンをいっぱい作ってもらう、とても日本的な研究だと思います。
ー先生はなぜ微生物に魅了されたのですか?
この世にはとても多くの種類の微生物がいて、人工的に培養できる微生物はほんの一握りです。そんな多くの微生物の中から新しい種類を自分で探し出してくる。
「こんな微生物が居るだろう」と考えるよりも「居てほしい!」、「居るはずなのだ…」といった思いを胸に探してます。その分、諦めの付け方が非常に難しいです(笑)。
微生物の培養は出来ずとも、最近では遺伝子情報だけで探す手法もあります。なんだか宝探しみたいな感じで、新種が居てくれるとハッピーになります。
おまたせしました! それでは、実際に行われた講義を少し体験してみましょう。
アミノ発酵、リシンの様々な発酵工程
リシンの発酵生産にはコリネバクテリウムという微生物が利用され、生合成は L-アスパラギン酸がアスパルトキナーゼという酵素の働きでβ-ホスホアスパラギン酸に変換され、さらにアスパラギン酸セミアルデヒドへの変換が行われます。
そしてアスパラギン酸セミアルデヒドはL-リシンとホモセリンに変換され、このホモセリンを経由してL-スレオニンが合成されます。また、このL-スレオニンは段階を経てL-イソロイシンを合成します。
3つのアミノ酸はこのアスパラギン酸セミアルデヒドを起点に生成されており、いずれもタンパク質の構成成分として使われるのに必要な分を合成すれば、微生物にとってそれ以上合成する必要はありません。
では、微生物はどの様にして合成をストップしているのでしょうか。
1つはL-リシンとL-スレオニンが細胞内において一定濃度を超えた場合にアスパルトキナーゼに起こる“協奏的フィードバック阻害”。
そして2つ目はL-スレオニンが細胞内において、一定濃度を超えた場合にホモセリン脱水素酵素(アスパラギン酸セミアルデヒドをホモセリンに変換する酵素)に起きるフィードバック阻害です。
リシンのみを多く生産したい人間。しかし、微生物は人間の為に働いてくれるわけではありません。
そこで人間は微生物をどうにか騙し戦略的にリシンを多く得る方法を2つ編み出します。
それがコリネバクテリウムからホモセリン要求株を取る手法とアナログ耐性変異株によるアミノ酸発酵の手法です。
コリネバクテリウムからホモセリン要求株を取る手法
コリネバクテリウムにUVを当てるなどして変異処理を行い、ホモセリンを微生物自身で合成できないようにし、生育に必要な量だけホモセリンを添加し培養します。
これにより協奏的フィードバック阻害を起こさずリシンを得る事が出来ます。
アナログ耐性変異株によるアミノ酸発酵の手法
リシンによく似た構造を持つ人工化合物S-(2-アミノエチル)-L-システイン、通称SAEC。
(対象とよく似た構造を持つ人工化合物はアナログ化合物と呼ばれます。)
このSAECを培地に加え培養し、L-スレオニンと協奏的フィードバック阻害をアスパルトキナーゼに起こします。
そしてSAECを加えても生育できる(アスパルトキナーゼへの協奏的フィードバック阻害が効かない)変異株を人為的な突然変異により作る事でL-リシン合成が進んでも止まらなくなります。
また、L-スレオニン合成はL-スレオニンの蓄積によりホモセリン脱水素酵素がフィードバック阻害され止まるので、結果L-リシンのみを60g/L作る事が出来ます。
みなさん、いかがでしたでしょうか。
講義で説明された生成方法が、完成するにいたるまでの道程には多くの研究者が試行錯誤し、リシン生成にかかわる様々な試みをしていたのだなと想像すると、微生物に魅了された片岡先生のように、実験結果が出たときのハッピーは計り知れないですね。
人間の為に働いてもらえるように、微生物の中で起きる生合成の流れや要因を掴む微生物学。生命機能化学課程の学生さんはこんな難しい授業を受けているのですね。
(筆者は理解するまでにとても時間が掛かりました…)
普段は目に見えない微生物。もちろん今回のリシンをつくる過程も肉眼では見えません。
しかし、そんな小さな生きものたちが私達の生活の基盤になっているとは……微生物にも、研究者にも感謝です!
そんな素敵な授業でした。
【取材日:2018年7月4日】※授業データは取材当時