映画『2001年宇宙の旅』が、人生すらも変えた
コンピュータの世界に入ったきっかけは、1968年に封切りになったSF映画『2001年宇宙の旅』を観たことです。HAL 9000という人工知能型のコンピュータが出てくるのですが、当時の私は人工知能などというものの存在すら知らなくて。赤い目をした機械が自己意識をもっていることに衝撃を受けました。
時代はベトナム戦争の真っ最中で、私もベトナム戦争に反対する学生運動に参加し、おまわりさんとチャンバラをしたり石合戦をしたりの毎日を過ごしていました。しかし、負け戦であることは明白でしたし、「いつまでもこんなことをやっているわけにもいかない。これから先、どう生きていくのか」を考えあぐねていた二十歳前後のときだったので、「こんな夢にあふれた、面白そうな世界があるんだ」と心に響いたわけです。それが人生で最も大きな転機だったと感じています。
まずはコンピュータそのものを知らなければと考えましたが、大学は講義が開かれていないような状況。なんせ自分たちで封鎖していたんですからね。量子力学の単位は取っていましたが、コンピュータを使うチャンスはありませんでした。そこで当時の東京大学出版会から出ていた森口 繁一先生の『JIS FORTRAN入門』を手に入れ、自学自習で学び始めました。
そこから運良く、16bitのミニコンピュータを手がけていた日立電子に就職。1bitずつ目で見て手で触るような形で、コンピュータそのものの基本的なことを隅から隅まで勉強させてもらいました。しかし時代が進み、32bitに移行せざるを得なくなったものの、日立電子では開発が追いつかず撤退。私はミニコンピュータが好きだったので、新聞広告で募集のあった米国を代表するミニコンピュータ企業、DEC(Digital Equipment Corporation)の日本支社に入ったところ、実は人工知能研究のプラットフォームを担う会社だったとわかり、幸運にも最初に目指した人工知能の世界へと入っていきました。
現在はスタートアップ企業の顧問も務めていますが、やはり人工知能関連の会社が多く、今でもその発展を目標にしています。あれから55年も経ちますが、いまだに『2001年宇宙の旅』の世界も実現できてはいませんよね。それをどうにか、現実のものにしたいんです。高度な人工知能の実現には、技術的なブレークスルーをつくりだすことがまず必要。若かりし頃に抱いた夢を、この先も追い続けたいですね。
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プロフィール
都市経営研究科 都市経営専攻 教授
京都大学工学部卒業。日立電子株式会社でエンジニア、DEC(Digital Equipment Corporation)Japanで営業職として活躍し、DEC 米国本社の人工知能技術センターにも約5年間勤務。帰国後、DEC Japanでマーケティング担当取締役を務めた後、ICT系米国企業の日本子会社の代表取締役を歴任。2003年、Google米国本社副社長兼 Google Japan 代表取締役社長に。その後、名誉会長を務め、2011年に退任し、村上憲郎事務所を開設。2018年より大阪市立大学教授、2022年より大阪公立大学の現職。専門は人工知能。著書に『一生食べられる働き方』(PHP新書)、『村上式シンプル仕事術』(ダイヤモンド社)『クオンタム思考』(日経BP 社)『量子コンピュータを理解するための量子力学超入門』(悟空出版)など多数。
研究者詳細
※所属は掲載当時