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女性が人口政策の<対象>から<主体>へ

人口政策という言葉を聞くと、中国で2010年代まで行われていた「一人っ子政策」や、戦時中の日本のスローガン「産めよ増やせよ」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし杉田先生は、人口政策は出生に関わる政策だけではないと説明します。

「人口政策とは、人口が多い・少ないといった人口認識を背景に、出生・死亡・移動がもたらす人口現象に直接・間接の影響を与えることを意図した政策です。中国の一人っ子政策は直接的な政策、今の日本で行われている少子化対策は間接的な政策です。また、近年の日本では、労働力人口減少やグローバリゼーション、多文化共生といった流れの中で、出生・死亡・移動の3つのうち、移動にかかわる話題がホットトピックスになっています」

歴史的には、人口と開発がマクロ的な視点で捉えられてきましたが、現在は個人の人権と健康というミクロの視点を重視して人口政策が論じられていると話す杉田先生。人口問題・人口政策における国際的な議論の経緯について、次のように振り返ります。

20世紀は、世界人口が急激に増加を続ける人口爆発の世紀でした。戦後、国際社会の中で、人口の増加が自然環境や食糧需給、エネルギーの確保などに及ぼす影響への政治的関心が高まり、人口に関する政府間会議が開かれるようになります。しかし、『途上国が経済的に自立するためには人口抑制が不可欠』と主張する先進国と、開発優先を主張する途上国、宗教的理由から出生のコントロールに拒否感を示したりする国の間で意見が激しく対立しました。その対立はしばらく続きましたが、1984年にメキシコ・シティ(メキシコ)で開催された国際人口会議で、中国やインドといった人口大国が、開発政策における人口政策の必要性を認めたことが、一つのターニングポイントとなりました」

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さらにその10年後、1994年にカイロ(エジプト)で開催された国際人口開発会議で、「性と生殖に関する健康と権利( Reproductive Health and Rights:以下、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)」という概念が提唱されたことが、もう一つの大きな転換点だといいます。

「リプロダクティブ・ヘルス/ライツは、子どもを産むか産まないか、どんな避妊方法を取るかなどについて、個人の選択の自由を保障する考え方です。これによって、今までは人口政策の<対象>と認識されてきた女性が<主体>として捉えられるようになりました。さらに、教育や雇用や財産における男女の機会均等、政策決定への女性参画など、女性へのエンパワーメントという新たな路線がカイロ会議で打ち出されたことは、国際的な人口政策における大きな画期と言えるでしょう」

リプロダクティブ・ヘルス/ライツは自分らしさの根源

一方、日本では、人口問題についてどのような議論や政策が行われてきたのでしょうか。

「戦後の日本は、敗戦直後の海外からの引き揚げと第一次ベビーブームによって、人口が急増しました。当時は一つの家庭に子どもが34人いるのが珍しくなかったのです。しかし、1950年代に実施された家族計画運動(妊娠・分娩に計画性をもたせる取り組み)によって、合計特殊出生率は2を下回る状況に。過剰人口問題は10年ほどで解決し、大きく経済成長を遂げました。日本は『多産多死』から『少産少死』への人口転換と経済成長を実現した成功例として注目され、特に近隣のアジア諸国に刺激を与えました」

しかし、経済成長を成し遂げた過程で「男は仕事、女は家庭」などと言われる性別役割分業が定着してしまったという側面もあると、杉田先生は指摘します。

「この時代に生まれた性別役割分業を支持する政策・制度や慣習は、現在は問題視されていますが、こういった問題意識が政治的に大きく取り上げられないまま長い時間が経過してしまいました。そのことにも現れているように、人口をめぐる政策論議において人権意識が欠けていた点が気になります。日本は先進国の中でジェンダー・ギャップ指数が最低レベルですが、この時代に根源があるのではないかと思います」

確かに、国際的には今から30年も前に提唱されたリプロダクティブ・ヘルス/ライツが、最近になってやっと日本でも少しずつ目にする機会が増えたように、「人口政策から人権保障へ」という世界的な潮流と日本の現状には乖離があるように感じます。

しかし杉田先生は、この数年で急速に普及したSDGsを例に挙げ、日本でも近い将来、リプロダクティブ・ヘルス/ライツが浸透していくのではないかと期待を寄せています。

SDGs17の目標の1つにもなっていることから、最近は日本でもジェンダーという言葉がよく使われるようになりました。国際的には、ジェンダーの視点を政策に取り入れるように提唱し、女性に関する法律の強化が求められたのは、リプロダクティブ・ヘルス/ライツが提唱された1994年の国際人口開発会議の翌年。1995年に北京(中国)で開催された第4回世界女性会議です。北京会議と呼ばれるこの会議は、女性が社会に飛躍する歴史をつくった会議だと言われています。来年は北京会議から30年の節目の年でもありますから、メディアなどでリプロダクティブ・ヘルス/ライツが取り上げられる機会も増えていくかもしれませんね」

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現在は、高校の教科書にもリプロダクティブ・ヘルス/ライツについて記載されるようになるなど、潮目は変わりつつあると杉田先生は力強く語ります。

「リプロダクティブ・ヘルス/ライツについて理解することは、自分を大切にすること、自分らしく生きることにつながる。最近よく耳にする『自己決定』や『自尊心』といった言葉にも直結するものです。性と生殖に関することは、いわば究極的な私事。だから自己決定するのが大切だし、自分らしさの根源ではないかと思います。そして、もちろん女性だけでなく男性にとっても非常に重要です。性別にかかわらず、個人の自由や権利をお互いに尊重し合うことが最も大切であり、人口問題は人権問題であるという理解がもっと進んでいくといいですね」

人口の多い・少ないよりも、「誰もが幸せに生きられる社会」を

人口問題は人権問題だと捉えると、人口政策に対するイメージも大きく変わってきます。しかし、人口減少社会という言葉は、どうしてもネガティブに捉えてしまいがちです。私たちは人口減少をどのように受け止め、向き合っていけば良いのでしょうか。

「人口の多い・少ないよりも大事なのは、誰もが幸せに生きられる社会へ向かっているかどうかだと思います。子どもを産み育てやすい社会ではないと感じている人、子どもを産み育てたいという希望を持っているのに、それがかなわないと感じている人が依然として多い状況であることも、人口減少社会のネガティブな印象につながっているのではないでしょうか。人口減少は避けられない中で、子どもを産み育てたいという希望がかなえられない人がいるのは非常に残念なことです」

「誰もが幸せに生きられる社会」に向かっていくためには、私たちは日常生活の中でどんな意識を持っておくべきなのでしょうか。そう尋ねると、杉田先生は笑顔でこう答えます。

「性と生殖の問題を含めて、誰もが健康で幸せに生きられるための権利への配慮を忘れないこと。そして、誰もが自分を大切にして、自分らしく生きることができずに悩むことがない社会を目指すのを諦めないこと。それは、一人ひとりが自分を大切にすること、自分らしく生きることから始まると思います」

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そのためには「学問が果たす役割は大きい」と杉田先生は続けます。

「人生は残念ながら不可逆です。結婚するかしないか、子どもを持つか持たないか、といった重要な選択は、『あのときにこうすれば良かった』と後悔してもやり直すことはできません。でも、いろんな知識を持っておくことは、きっと自分を助けてくれると思います。知識を得て、視野を広く持つことは、豊かな人生の源になるはずです」

学んで知識を得ることが、自分を大切にすること、ひいては他者を大切にすることにもつながる。逆に言えば、知識の貧困が他者への不寛容やアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を引き起こしてしまうのかもしれません。

「人口政策は出生から死亡まで、人の一生に関わりますから、人生について考える学問だと言えるかもしれないですね」と話す杉田先生。最後に、今後の研究で取り組んでいきたいことについて伺いました。

「出生・死亡・移動のうち、出生につながる結婚や出産、あるいは移動が、本来は自分で自由に選択できるべきなのに、必ずしもその人にとっての自分らしい選択、楽しさの選択になっていない。その理由を解きほぐすような研究をしたいと思っています。出生・死亡・移動がもたらす人口現象を、個人の人権、健康や幸せと関連づけて見つめていきたいです」

プロフィール

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経済学研究科 経済学専攻 教授

 
 杉田 菜穂

経済学研究科 経済学専攻 教授

博士(経済学)。大阪市立大学経済学部卒業、大阪市立大学大学院経済学研究科修了。同志社大学政策学部講師、大阪市立大学大学院経済学研究科准教授、同教授を経て現職。著書に『人口・家族・生命と社会政策』(2010年、法律文化社)、『<優生>・<優境>と社会政策』(2013年、法律文化社)、『人口論入門』(2017年、法律文化社)など。俳人・歌人としても活動している。

研究者詳細

※所属は掲載当時

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