男性が歳をとり血液の細胞からY染色体が失われる現象「mLOY」
男性と女性の寿命はなぜ違うのか。はるか昔より人々が疑問に感じていたその謎をひもとく鍵になるかもしれないのが、今回の佐野先生たちの研究です。
「男女の違いを決定づけるスタートラインは、XとYからなる性染色体です。その組み合わせがXYなら男性、XXなら女性になる…というのは、生物の授業でも出てくる話なので、覚えている方も多いでしょう。だけど一部の男性には、歳をとると血液細胞からY染色体が失われてしまう、Loss of Y chromosome(mLOY)と呼ばれる現象が起こります」
男性がY染色体を失ってしまうと聞くと、ドキッとしてしまいます。これって男性が女性化する、ということなのでは…。
「老化などによってY染色体が失われる現象は、全身で30~37兆個ある細胞のうち血液の細胞にだけ起こるもので、女性に近くなるということはありません。測定方法によっても違いはありますが、70 歳の 40%、93 歳の 57%に見られます。
これまでもmLOYの男性はそうではない男性に比べて、アルツハイマー病、前立腺がんや大腸がんといった固形がん、心筋梗塞や脳卒中などの心血管病になりやすく、さらに寿命も短くなることが報告されていました」
そんなに多くの男性の血液細胞からY染色体が失われ、しかも短命になっていたとは衝撃です。実はこのmLOY、半世紀以上も前から知られていた現象だったとのこと。にもかかわらず、どういった意味があるのかという追究は、長らく手つかずの状態でした。こんな不思議な現象なのになぜ、という気がします。
佐野先生がmLOYの共同研究をはじめた、バージニア大学のラボでの一枚
「Y染色体は、受精卵を男の子にする機能、成長してからは精子をつくる機能と、その役割がはっきりしていたので、Y染色体の喪失は高齢者に作用することのない、単なる血液の老化現象だと捉えられていたからでしょう。
mLOYになった男性は、そうでない男性よりも5.5年ほど寿命が短くなるという研究結果を、今回の共同研究グループの一員でもあるスウェーデンの研究者が2014年に発表しました。奇しくもこの発表と同じ年に、男女問わず血液に変異がある人は、寿命が短くなるという別の研究結果も発表されています。その後、mLOYと心血管病の統計学的な関係を示す報告を目にし、血液の変異現象と心臓には何らかの関係があり、短命の要因になっているのではないか。そう考えるようになり、当時ラボを構えていたバージニア大学で共同研究を始めました」
mLOYにより心不全が悪化しやすくなることも、寿命が短くなる一因に
mLOY とさまざまな加齢性疾患との間に統計学的な関係があることが判明した一方で、mLOYが疾患とは直接関わりのない単なる老化現象の一つにすぎないのか、それともmLOY と疾患との間に因果性があるのかは明らかになっていませんでした。そこで佐野先生たちのチームはまず、英国全域の約50万人の遺伝学的データや健康情報が集められているUK バイオバンクのデータを解析。そこからmLOY の割合が 1%増加すると、心血管病による死亡率は1.3 倍に。なかでも高血圧性心疾患は 3.5 倍、心不全は 1.8 倍、大動脈瘤および解離が 2.8 倍にまで増えることがわかったといいます。
「やはりmLOY と心血管病には、なんらかの因果性がある。それを検証しようと、血液細胞だけが Y 染色体を失ったmLOYのモデルマウスをつくって実験することにしました。全ての血液は、造血幹細胞という親玉のような細胞によってつくられます。普通のマウスから造血幹細胞を採取し、培養する過程でY染色体を潰そうとしたのですが…この作業が一番の難関でした。とはいえ、ここはアメリカだし、日本人のラボが一つ失敗したところでまぁいいだろうと(笑)、気負わず進めました。いろんな方法で試して1年ほどかかりましたが、完成したときには、ラボのみんなで大喜びしましたね」
普通のマウスとmLOYマウスの染色体の比較。mLOYマウスは、Y染色体が欠如している
こうしてmLOY マウスと正常なマウスの両方を心不全状態にしたところ、mLOY マウスの方が、予後が悪いという結果に。さらに詳しく解析すると、心不全になった mLOY マウスの心臓では、組織が線維成分に置き換わる「線維化」が起こっていたというのです。
「Y染色体のない血液細胞が心臓に到達し、心臓マクロファージ※になると、線維化が起こりやすい性質があることが明らかになりました。線維化を放っておくと心臓がどんどん硬くなるため、mLOYになると一般よりも心不全が進行しやすくなるというわけです。
さらにmLOYは、心臓だけでなく肺、腎臓などさまざまな臓器の線維化を促進することもわかりました。先進国における死因の45%は線維化関連疾病であり、線維化は高齢者の重大な死因である心不全や肺線維症、腎不全にも大きく関わっています。mLOY の状態を把握することは、特定の病気において悪くなりやすい患者を発見することやその治療方針を決定することにもつながるでしょう」
※心臓マクロファージ:血液からやってくる単球という細胞が変化した細胞で、炎症や線維化に関わる。心不全の状態では、心臓マクロファージが異常に活性化し、炎症や線維化を引き起こすことが分かっている。この異常な活性化が続くと、心臓が硬くなり、柔軟性が失われ、心不全が進行することがある。
mLOYになりやすい原因として明確なのは、加齢、煙草、遺伝の3つ
mLOYの状態を把握することで加齢性疾患の対策がとれる可能性がある、というのは希望のもてるニュースです。しかしY染色体がなくなると、自覚症状は出るものなのでしょうか。またmLOYに一度なってしまったら、もう治らないのでしょうか。さまざまな疑問がわいてきます。
「mLOYは検査しない限りわかりません。なりやすい原因として明確なのは、加齢、煙草、遺伝の3つ。同じ人を複数年にわたり追跡調査すると、mLOYになった細胞はどんどん増えていくことがわかっています。一方で、煙草をやめるとmLOYの細胞が減るという結果も出ています。決して不可逆な現象ではないのは、救いのある話です。ともあれ自力で予防できるのは、現時点では煙草ぐらいですね」
やはり煙草は万病のもとのようです。しかし、そもそもなぜ歳をとると、mLOYになってしまうのでしょう。長年放置されていたとおり「単なる血液の加齢現象」に過ぎないのでしょうか。
「mLOYが起こる細かい分子的なメカニズムもわかっていません。ただ、生物にとって重要なのは子孫を残すこと。生殖能力のピークが過ぎてしまうと、悪い現象も平気で起こってくるようになります。がんも歳をとってから起こりやすくなりますよね。mLOYも加齢にともないタガが外れて出てくる現象の一つなのだろうと思っています。
実はCOVID-19に関しても、mLOYになった人の方が重症化しやすいという複数の研究報告があるのですが、その仕組みはわかっていません。私たちは心臓でマクロファージ化したものだけを追いましたけれども、ほかの部位に存在するmLOYのマクロファージは、また違ったふるまいをするのかもしれません。マクロファージ以外の細胞がmLOYになったときにどういった振る舞いをするのかも分かっていません。これから横の展開に広げることも重要だと感じています」
mLOYの細胞を選択的に取り除ければ、男女の寿命差がなくなる可能性も
男女の平均寿命は人種や環境を問わず男性のほうが短いことが知られていますが、ヒト以外の哺乳類でもオスのほうが早く死ぬ傾向にあるのだそうです。そのこと自体にmLOYが関係している可能性も充分にあると、佐野先生は考えます。
「男女の寿命差は生物的に保存されたプログラムでしょうが、mLOYの細胞をなくすことができれば男性の寿命が女性に追いつくかもしれません。感染時に飲む抗生物質は、人間の細胞を殺さずにバイ菌だけを殺します。抗がん剤も正常な細胞は殺さず、がん化した細胞だけを殺すようになってきています。だからmLOYになった男性の血液から、mLOYの細胞だけを選択的に消し去る方法もそのうち見つけられるはず。ファンタジーではなくリアリティのある話だと思っています」
今回の研究内容は、世界中のメディアで取り上げられました。「Y染色体がなくなると、男性は早く死ぬらしい。このわかりやすいストーリーがウケたのではないか」と佐野先生は振り返ります。そして、mLOYがそうだったように、これまでサイエンスの視点で見られていなかったことにも注目していきたいと語ります。
「私自身、難しい話が好きではなく、ストレートな課題をシンプルな方法で研究し、多くの人にとってわかりやすく説明することを理想としています。私は“新しい”ということがサイエンスの唯一の定義だと思っているんですが、勉強すればするほど、人の論文や既存のプロジェクトと似たようなものをつくってしまいがちです。研究者を長くやっていると、そういったことは簡単にできるようになるものの、やり始めると1~2年、すぐに失ってしまいます。私にはそんなに時間がありませんので『何をしないか』を決めることも大事だと思っています。オリジナリティのある視点で、新しいことへの挑戦を続けていきたいです。」
今回の研究の展望について語る佐野先生
プロフィール
医学研究科 循環器内科学 特任講師。医学博士、2021年より現職。
同大学院生時代の2014年からボストン大学、2018年からバージニア大学にてKenneth Walsh博士に師事し、クローン性造血と心血管疾患の関連についての研究に従事。アメリカ国立衛生研究所よりのR01グラントを36歳という若さで獲得し、2019年からバージニア大学にてアシスタントプロフェッサーとして研究室を構え、Y染色体喪失に関する研究を開始。その成果が2022年7月、国際学術誌『Science』に掲載され大きな注目を集める。令和4年度大阪市医学会にて第一回鈴木衣子賞を受賞。
※所属は掲載当時