ノーベル賞受賞研究でも使われた線虫C.エレガンス
まず中台先生におうかがいしたのは、線虫C.エレガンスについてです。この生物は体長1ミリほどで、土の中などに生息し、主に細菌を食べて暮らしているのだとか。小さいながらも消化管を備えており、ヒトと同じように腸を通して食べたものを消化吸収し排便もする。しかも、食べものに好き嫌いがあり、記憶する力も持っているそうです。
「線虫はごく小さな体なのに、ヒトと似たような機能を一通り備えており、遺伝子レベルでみても、ヒトが備えている遺伝子のうち重要なものを7割ぐらい持っています。ですから、ヒトの代わりのモデル生物※として、遺伝子レベルで基本的なメカニズムを調べる際に線虫が使えるのです。モデル生物として線虫を最初に使ったのは、2002年にノーベル医学・生理学賞を受賞したシドニー・ブレナーです。ブレナーが使った線虫の子孫を、今でも世界中の研究者が使っています」
※モデル生物:生物学等において、普遍的な生命現象の研究に用いられる生物。実験しやすい便利な特徴を備えている。
さまざまな研究に使われる線虫「C.エレガンス」。右3匹は成虫(小さめの1匹は成虫になりたて。
日齢に応じて大きくなるが、高齢になると少し縮む)、左3匹は幼虫。楕円形の小さなものは産み落とされた受精卵
なぜ、研究者が線虫を好んで使うのかというと、線虫にはモデル生物としての適性がいくつも備わっているからだと、中台先生は説明します。たとえば、大腸菌を与えておけばそれだけで成長してくれるので飼育がとても簡単、一匹の雌雄同体が300個ぐらいの卵を産むので増やすのが容易、体の構造が単純、遺伝子操作がしやすい、さらに寿命が2~3週間と短いのもポイントだといいます。
「生まれてから成長するまでの時間が短い、ということは細胞が分裂していく成長過程をきめ細かく観察できます。この特性を活かしてブレナーらはアポトーシスの研究を行って、ノーベル賞を受賞しました。アポトーシスとはプログラムされた細胞死を意味する用語です。たとえばヒトの手は、胎内である程度大きくなるまで水かきのようになっています。けれども不要な細胞がアポトーシスを起こす結果、指の部分だけが残ります。また、アポトーシスが正常に起こらないと、本来なら死ぬべき細胞が死ななくなり、無限に分裂増殖してしまうことになります。つまり、がん化するわけです」
ノーベル賞に輝いた研究にも使われた、C.エレガンス。この生物にはすごい特徴がまだあります。なんと、冷凍保存が可能なのです。
「鮮度保持に使われるトレハロースや保湿剤のグリセロール(グリセリン)に入れて、マイナス80℃ぐらいで凍結すると、半永久的に保存可能です。凍結しても死なず、温めて溶かすと再び動き出して成長する。冷凍保存しておけば、当然代替わりもしないので、長期間の観察も可能です」
線虫は、実験の申し子ともいえそうなスーパー生物です。中台先生の話を聞いていると、世界中の研究者が扱うのも頷けます。
線虫が解明したセサミンの抗老化作用
“セサミンでアンチエイジング!”――。こんな広告をどこかで見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。中台先生たちが線虫を使って取り組んだ研究のひとつに、ゴマに含まれる希少成分であるセサミンの抗老化作用の解明があります。
「ただし、最初に断っておきますが、効果が確認されたのはあくまでも線虫に限っての話です。セサミンには線虫の寿命を延ばす効果が確かにあった、だからといってヒトにもそのまま当てはまる、などとはくれぐれも誤解しないでください」
健康食品等を扱う広告やテレビ番組などでは、動物実験で結果が得られただけなのに、ヒトでも効果があったように受け取ることができる表現をするものがあると、中台先生は警鐘を鳴らします。とはいえ、健康長寿は誰もが望むところ。線虫で確認されたセサミンによる抗老化作用とは、どのようなものなのでしょうか。
「抗老化作用につながる現象はいくつか確認されており、食餌(カロリー)制限もそのうちの一つです。私たちの研究では、線虫にセサミンを与えることで、この食餌制限のときに働くのと同じメカニズムが線虫の体内で起こっていることを遺伝子レベルで明らかにしました」
セサミンに線虫の寿命を延ばす効果が確かにあった。では、ヒトにも同様の効果があるのかを調べて、寿命を延ばせる医薬品をつくれるのかといえば、それは一足飛びにできることではないようです。
「私たちの研究でわかったのは、あくまで線虫の遺伝子レベルでのメカニズムです。医薬品として製品化する場合は、次にマウスで実験し、さらにはサルなどでも実験した結果、安全性に問題がなく、抗老化の効果が認められて、そこではじめてヒトでの治験に進むことができます。そこまで進むには乗り越えるべきハードルがたくさんあります」
セサミンによる線虫の寿命延伸の研究結果。セサミンを給餌した群では、通常の餌のみのコントロール群に比べ寿命が有意に長くなった
ヒトの高血圧治療薬でも線虫の寿命が延びた
線虫を使った研究によって明らかになった抗老化作用をもたらす物質は、セサミン以外にもあるのでしょうか。中台先生にたずねると、高血圧の治療薬メトラゾンを使って、線虫の寿命を延伸させた事例を話してくれました。
「メトラゾンは本来、ヒトの高血圧を治療するときに使う医薬品です。私たちはミトコンドリアストレス応答による長寿効果に着目していました。これは細胞内のミトコンドリアに軽いストレスが与えられた結果、細胞や個体の耐久性が向上して寿命が延びるという現象です。ミトコンドリアストレス応答を起こす化合物を探索したところ、このメトラゾンがヒットしました。さらにメトラゾンを投与しない線虫と比べると、投与した線虫の方が寿命が延びたという結果も確認できています」
メトラゾンの抗老化作用もセサミンと同様に、現時点では「あくまでも線虫での話」だと中台先生は注釈をつけます。けれども、いずれはヒトでも研究を進められるようになり、ヒトを健康長寿にしてくれる効果を解明できるのではないでしょうか。中台先生は、研究の展望をこう語ります。
「もちろん最終的には、研究成果をヒトの抗老化につなげたいと考えています。そのためにもセサミンやメラトゾンで明らかにしたように、まずは線虫を使ってヒトにまで共通する普遍的なメカニズムを明らかにする必要があります。仮に何らかの方法によってヒトのミトコンドリアストレス応答をコントロールできるようになれば、ヒトの健康長寿を延ばせる可能性も出てきそうです」
線虫に期待がかかるのは、実験動物として哺乳類を使うのが極めて難しい状況になっているのも一因だと先生は説明します。
「動物愛護団体からの抗議活動などもあり、今では製薬会社の研究所や学術的な研究機関以外で哺乳動物を使うのは、ほぼ不可能になりつつあります。そのため余計に線虫が注目されているのです。膨らみ続ける健康長寿への期待に応えたい、けれども思うように研究を進められない部分もある。そんなジレンマを解消してくれる可能性を、線虫は秘めています」
線虫の可能性について語る中台先生
誰もが望む健康長寿を、食べもので実現したい
抗老化に関する薬としては糖尿病の治療薬であるメトホルミンが注目されていたり、サプリのNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)なども抗老化物質として期待が高まっています。
「メトホルミンの抗老化作用については、すでに臨床試験も進められています。NMNについても、同様の臨床試験が進められています。これらの化合物についても、まず線虫などで実験を行って効果が確かめられ、その後でマウスなどの哺乳動物で、同様の作用が認められてきた経緯があります」
今すぐにというのは無理だとしても、いずれこれらの化合物について抗老化効果が実証されれば、一種の薬のようなものとして扱われるようになる可能性もあるようです。
「そのような化学物質も良いとは思いますが、私の基本はあくまでも“食”です。食生活を工夫したり、より良くした結果として、健康を保ち長寿になれば、それがベストだと思います。もちろん簡単な話ではありません。カロリー制限ひとつを取ってみても、抗老化作用をもたらすメカニズムには、いろいろな経路があります。だからこそ線虫の研究によって、これらのメカニズムを明らかにして、ヒトの研究へとつなげていきたいのです」
抗老化は、世界中の研究者たちが競うように研究に取り組んでいるジャンルです。C.エレガンスのおかげで革新的なサプリ、あるいは医薬品が開発される未来は、そう遠くないのかもしれません。
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セントラルドグマに導かれて遺伝子レベルの研究へ|わたしと学問の出会い02
プロフィール
生活科学研究科 食栄養学 教授。
博士(薬学)。2022年より現職。1999年九州大学薬学部卒業、2001年同大学院薬学研究科修士課程修了、2004年東京大学薬学系研究科博士課程修了。製薬会社での研究員、東京女子医科大学医学部講師を経て現職。線虫をモデル生物とし分子遺伝学的手法を駆使して、微生物感染から食品成分や有用菌の抗老化作用の解明などに取り組んでいる。
研究者詳細
※所属は掲載当時