給食の時間に、子どもたちが走り回ってしまう理由
「『発達障害』という用語を聞いたことがある方は多いと思います。日本の法律や教育・医療制度で、その定義が一貫していませんが、最近、私は『神経発達症』という用語に言い換えて使うようにしています」中岡先生は近年さまざまな言葉が用いられるようになっていることに触れ、まず言葉の定義について説明しました。
神経発達症の子どもたちに寄り添い、研究に取り組む中岡先生
「『発達障害』という用語は日本の発達障害者支援法で『自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの』と定義されています。一方、『神経発達症』は、2013年に改訂されたDSM-5(Diagnostic and statistical manual of mental disorders:精神疾患の診断・統計マニュアル)で採用された用語で、知的能力障害、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、運動症群などが含まれます。厳密には、神経発達症は発達障害より広い範囲を捉えているものの、今回は『神経発達症』という用語に統一してお話しさせてもらいます。
また、私の専門である自閉スペクトラム症はASD(Autism spectrum disorder)とも呼ばれていて、『社会的コミュニケーションと対人的相互反応における持続的な障害』と『行動、興味、または活動の限定された行動様式』の2つを診断基準とする神経発達症です。わかりやすくいえば人とコミュニケーションを取るのが苦手だったり、何かに異常にこだわったりする子どもですね。このASDに関しては、DSM-5では有病率1%ですが、日本の5歳児を対象とした調査では有病率4.5%との結果もあります。さらに、ASDは注意欠如・多動症や知的能力障害といった他の神経発達症と併存するケースが多く、併存率は88.5%であることがわかっています」
有病率4.5%ということは、ほぼ20人に1人の割合です。小学校なら1クラスに少なくとも1人ぐらいはいる計算になります。決して少なくない割合のため、先生がクラスをまとめるうえで配慮が必要になりそうです。
「仮に、クラスにASDの子どもがいて、給食の時間なのに遊びに夢中になってしまい、席につかずに走り回ったりして、他の子どもたちもつられてしまうケースがあるとしましょう。その結果、クラスの大多数が給食を食べずに遊んでしまう。先生にとっては困った状況です。ただ、そんな時に注意したいのが、実は子どもたち自身は何も困ってなどいなくて、ただ楽しく遊んでいるだけだということです」
給食の時間には、みんな揃って静かに食事するのが当たり前、というルールを決めたのは大人です。改めて給食を食べずに楽しそうに遊んでいる状況を、子どもたちの視点から捉え直してみると、景色はどうも変わって見えてきそうです。このような視点の違いによる捉え方の差は、これまであまり意識されてこなかったのではないでしょうか。
神経発達症の子どもには、言葉だけでなく環境の変化で伝える
「子どもたちからすれば、じっと座っているより、好きなように動き回るほうが当然楽しいですよね。だから走ったりする。特にその時間を給食の時間と認識していない子どもなら、そう考えてもまったく不自然ではありません。いま自分に何が求められているのか、それに気づきにくいのもASDの特徴の一つです。そんなときに大切なのが、その子にはどのような世界が見えているのかを考えて、こちらから歩み寄る姿勢です。たとえ給食時間とはいえ、まわりに遊び道具が散らばっていたりすれば、遊び時間と勘違いしても不思議ではないわけです。ひょっとしたら本当は給食時間だとわかっていても、自分で切り替えられずに困っているかもしれません」
遊んでもよい時間だと思っているのに、先生から怒られたりすると、なぜ怒られたのかわからない。これがASDの子どもの受け止め方だと中岡先生は説明します。一方で、給食の時間を遊びの時間として放置するわけにもいきません。そんなときは、どう対処すればよいのでしょうか。
「子どもの視点から見て“今は何をする時間なのか”を、環境から導くことが一案です。遊び道具を片付けて視界に入らないようにし、教室の中と外の境界がわかるように扉を閉める。見えている世界が変わると、子どもは考え方を変えます。視界に給食が入ってきて、それに意識が向けば、食事の時間だと気づいてくれます」
子どもの気づきを重視する、それも言葉だけで気づいてもらうのではなく、環境や状況の変化によって自ら気づいてもらう。このやり方は神経発達症の子どもに限らず、子どもと接する際の基本的な心得ともいえそうです。園や学校に限らず、家庭での子育てにも応用できるのではないでしょうか。
「誰かに、何かを言われたからやるのではなく、子どもからすれば(まわりの環境が変わったため)なんとなくだけれど、自分から動いてみた。そのとき子どもは主体的に動いたと感じています。その行動をまわりから認められてほめてもらえれば、とてもうれしいものです。すると自発的に動いてほめられる喜びを、次の機会でも求めるようになるでしょう」
子どもたちから学んだ、彼らに見えている世界
子どもたちに気づきを促すには、まず子どもたちの視点から見えている世界を理解し、関係性を築くことが必要です。では、実際の支援業務にも携わっている中岡先生は日頃、どのように子どもたちと接しているのでしょうか。
「学級訪問などに出向いたときでも、特性のある子どもにいきなり話しかけたりはしません。最初は遠くから、その子の様子を観察し、少しずつ距離を縮めていく。それでもこちらから話しかけるのではなく、子どもが見ているモノを一緒に静かに見ている。そのうち子どもの方が“この人は大丈夫かもしれない”と思ってくれます。あえて言葉を発しない姿勢が、かえって“この人だったら自分のことをわかってくれるかもしれない”というメッセージとして伝わるのです」
そんな関係をひとたび作れると、子どもの方からいろいろ話してくれるようになるのだとか。また、中岡先生は、子どもたちとの会話にはたくさんの学びがあるといいます。
「印象深かったものだと、『金曜日のランドセルって重いんだ』という子どもがいました。これはその子にとっては“一週間の終わりになると疲れているんだよ”というメッセージなんです。あと指示どおりにできていない様子を心配して見ていたら、子どもの方から『大丈夫。うまくできなくても平気だから、そんなに心配しないでいいよ』と教えてもらったこともあります。大人は“うまくできないといけない”とつい思いがちですが、その子はもっと自由に捉えていたんですね」
また、子どもから「嫌だ」「やりたくない」と拒否されると、まわりの大人は困ってしまいそうですが、こういった言葉をもらうことはうれしいことなのだと、中岡先生は説明します。
「神経発達症の子どもには、自己表現が苦手な子もいます。『ぼく、これは嫌なんだ』と何らかのサインを出してもらえたら、それは喜ばしいことなんです。嫌だとはっきり伝えられないために、パニックになってしまう子どももよくいますから」
先生の気づきは、いずれも相手の立場に寄り添って、子どもたちを受け止めた結果として得られたものです。振り返れば私たちは相手の立場で考えるより、つい自分の受け止め方や考え方を優先してしまいがちのようです。
「ASDの特性のある子どもは、感覚過敏を抱えているケースもあります。そんな子にとっては、人が近づくだけで嫌なのです。だから、できれば一人でいたい。それなのに『みんなで仲良く過ごしましょうね』といわれたりすると困ってしまう。自分の常識を常に優先するのではなく、相手がどう思っているのかを、他者視点で考える姿勢があれば、お互いの関係性は変わっていきます」
中岡先生は、発達が気になる子どもたちが自由に伸び伸びと活動できるように、奈良県明日香村でのフィールドワークを定期的に実施している
相手に寄り添うことで、みんなが生きやすい社会を創る
ASDの60%以上が感覚過敏・鈍麻を抱えています。そんな子どもの中には、人がたくさん集まっている部屋にいるだけで息苦しくなったり、蛍光灯の光でさえ目が痛くなったりするケースもあるようです。
「感覚過敏の子どもたちを救う動きとして、“私のトリセツ(取扱説明書)づくり”があります。たとえば『私は感覚過敏なところがあるので、このような支援をしてくれると助かります』などと書かかれた一種のマニュアルです。子どもが自分で作るのは難しいので、保護者や私たちが作ったりもします。最初にこれを見せて、相手に助けを求められるようになれば、子どもはずいぶんと楽になります」
必要なのは、子どもの特性を理解して環境を整えることであり、そのためには大人の側から一歩踏み出し、寄り添うことが不可欠です。そして、寄り添うためには、おおらかさが大事なのだと、中岡先生は話します。
「私の家族の経験ですが、子どもが小さい頃にテーブルの上のコップに手を当てて、よくお茶をこぼしていました。そんなときに『何してるの!』と怒ってしまうと、子どもはしまったと思ってビクビクしてしまいます。間違いを指摘するんじゃなくて、『こぼしたら拭けばいいんじゃない』と導いてあげる。それでもまたコップを倒したときには、『いつもこぼして拭いてるけど、コップを倒さないためにはどうしたらいいかな』と尋ねてみる。するとコップの位置を、手の当たらないところに置き換えるようになりました」
失敗を責めるのではなく、相手に寄り添う。一緒に考えながら、相手から出てきたアイデアを認めて試してみる。うまくいけばほめてあげて、そうでなければ次のアイデアを考えてもらう。焦らず、怒らず、相手の立場で考えることによって見えてくることがありそうです。しかし、今の社会全体に、このおおらかさがなくなってきているのではないかと、中岡先生は危惧します。
「子どもたちの声がうるさいから公園を閉鎖するとか、保育園にクレームを入れるなどという話も聞くようになりました。子育ては社会全体で取り組むほうがよいはずで、実際に昔はそうだったと思います。でも今は、他人の目に親が萎縮してしまって、子育てをおおらかにできにくくなってきています。神経発達症の子をもつ親の場合、それをより一層強く感じているのではないでしょうか。自分の“当たり前”を相手に押し付けるのではなく、相手の視点でものごとを捉える、そんな思いやりのあるやさしい社会に少しでも近づけるよう、私も研究を通じて貢献していきたいと思っています」
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プロフィール
リハビリテーション学研究科 リハビリテーション学専攻 講師
大阪公立大学大学院 リハビリテーション学研究科 リハビリテーション学 講師。博士(保健学)。2022年より現職。2005年広島大学医学部保健学科卒業、2012年広島大学大学院保健学研究科博士課程前期修了、2020年大阪府立大学大学院総合リハビリテーション学研究科博士後期課程修了。自閉スペクトラム症の食行動に関する研究からスタートし、特別支援教育と作業療法、神経発達症児の支援などを含む学校コンサルテーションを行っている。
※所属は掲載当時