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幸せを求めて

浮世絵が江戸、京都、大阪という活気ある都市部、特に江戸を中心とした地域で生まれたのは、日本が比較的平和で繁栄していた時代です。とはいうものの、この時代に天災や人災といった災難がなかったわけではなく、有事の際に日本人は浮世絵を「縁起物」として利用していました。

特に、赤一色で刷られた「疱瘡絵(ほうそうえ)」という浮世絵は“赤絵”と呼ばれ、多くの場合、この用途を担っていました。江戸時代に日本で猛威を振るい多くの幼い命を奪った天然痘を除けるためのお守りとしても、この赤絵が使われていました。

このような赤絵は数多く刷られ、人々は家の壁に貼ったり、お守りとして持ち歩いたりしていました。この絵には、"どうか天然痘に罹りませんように、罹ったとしても症状が軽く済みますように "という人々の強い願いが込められていたのです。

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歌川国芳「(金太郎と猪)」疱瘡絵(赤絵)19世紀

災い転じて福となすー天災から伝染病の大流行まで

江戸時代は伝染病の大流行だけでなくさまざまな災難にも見舞われましたが、人々は豊かなユーモアセンスと積極性で見事に乗り越えました。特に「鯰絵(なまずえ)」と呼ばれる浮世絵(瓦版)には、そうした日本人の「気持ちの持ちよう」が生き生きと描かれています。鯰絵は、安政年間に多発した大規模な地震、特に安政2年(1855年)に起きた安政江戸地震の際、地震の原因と信じられていた、ナマズが描かれた作品群を指します。

「蕎麦一杯」程度の値段とされ、比較的安価に大量に生産された浮世絵は、江戸庶民の大衆娯楽として親しまれました。苦難に満ちた時代においては、これらの浮世絵を家に飾ったり持ち歩いたりすることで、人々は安泰で平穏な生活を願い、祈っていたのでしょう。

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「しんよし原 大なまづゆらひ」安政2年(1855年)

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「平の建舞」安政2年(1855年)

さて、この浮世絵のテーマは、1855年10月に起きた安政江戸地震です。日本では10月を神無月(かんなづき=神様のいない月)と呼びます。神様が不在であったので、ナマズが動き回り、大地震を引き起こしたと考えられたのです。

地中深くに住むナマズは巨大な聖石・要石に押さえつけられているという民間信仰を、人々は信じていました。しかし、185510月、神様の不在の隙をついてナマズは巨石を振り払い、尾を振り回し、結果として大災難が起こったと考えられたのです。この安政江戸地震では、1万人を超える死傷者が出たと推定されています。

こんな悪さをするナマズですが、必ずしも悪意のある生き物とは思われていなかった点は興味深いところです。江戸の人たちは震災で家も家族も何もかも失いました。しかし、すべてを失ったからこそ、皆が貧しくなり、その結果、皆が平等になりました。「貧福をひつかきまぜて 鯰らが 世を太平の 建まへぞする」と記されたこの「平の建舞」には、この奇妙な一体感とも言うべき空気感が流れています。

1858年夏にコレラが大流行した時も、江戸の人々の間で同様のリアクションが見られました。

歌川芳員(うたがわよしかず)の浮世絵「諸神の加護によりて良薬悪病を退治す」を見てみましょう。雲に乗ってやってきたのは、神様の一団です。そして、神様が遣わした丸い頭を持つ人物たちの顔には、薬の名前が書かれています。薬が病気を退治している様子が、擬人化して描かれているのです。

この浮世絵が刊行された1858年は、コレラの大流行により、江戸だけでも死者10万人以上であったと言われています。しかしこの絵を見ると、ユーモアやポジティブな姿勢をも感じます。

おそらく人々は、前向きな姿勢と笑いで、困難を乗り越えようとしていたのでしょう。江戸の人々はどんな深刻な状況でも、まず笑おうとしていたのではないでしょうか。

そしてこのユーモア保持の精神は、近年流行するさまざまな感染症との根強い戦いを続けている今日までずっと、私たちの日常に受け継がれていると考えられます。

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歌川芳員「諸神の加護によりて良薬悪病を退治す」安政5年(1858年)
東京都立中央図書館

浮世絵と新型コロナウイルス感染症

新型コロナウイルス感染症の出現は、社会の精神衛生的な部分に大きな打撃を与えたように思います。このような不安な時代においては、世界中の人々がいろいろな手段で“安らぎ”を求めました。日本人は過去に遡って癒しを求めたので、この機会に浮世絵が再び、安泰へと導く道標の役割を果たしたといえるのではないでしょうか。

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「肥後国海中の怪(アマビエの図)」弘化3年(1846年)
京都大学附属図書館

左の絵には、2021年春、新型コロナウイルス感染症のパンデミックのさなかに突然人気沸騰したものが描かれています。この生き物はアマビエと呼ばれ、この画像はX(旧Twitterのハッシュタグ #amabie #amabiechallenge #amabieforeveryoneで、日本だけでなく海外のネットユーザーの間にも広まり、他のソーシャル・ネットワーキング・サービスでも支持を集めました。

アマビエは海に住む妖怪です。たびたび人魚と訳されていますが、おそらく正確ではないでしょう。西洋の人魚の概念とは違い、アマビエは幽霊や怪物のようなものです。この怪物は人間のような顔を持ち、動物のような体をしています。

アマビエの伝説は1846年5月中旬にさかのぼります。アマビエは肥後国(現在の熊本県)に現れ、豊作を予言し、不幸にもその後6年間は疫病が流行することを告げたとされています。そして、アマビエは出会った人々に、病から身を守る手段として自分の絵を見せよ、と指示したと伝わっています。

それゆえアマビエは、新型コロナウイルス感染症の流行が拡大し家に閉じこもっていたとても暗い時代に、希望を与える存在となってくれたのです。

「災い転じて福と為す」ということわざが示すように、日本人はしばしばユーモアと優しさにより困難を乗り越えてきました。浮世絵は、江戸時代の驚くべき芸術的才能を示すだけでなく、人々の忍耐力を巧みに増幅する機能があることも示しました。新型コロナウイルス感染症のように、今後も試練はさまざまな形で、いろいろなタイミングで訪れるでしょうが、変わらないのは、それを乗り越えるには精神力が必要ということです。暗闇の時代でも喜びの瞬間を求め、私たちはこれからも、現代に即した浮世絵を創造するはずです。アートから力をもらって、私たちは過去から現在、そしてこれからもずっと、溌剌と笑うことができるのです。

プロフィール

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文学研究科 文化構想学専攻 教授 
 菅原 真弓

文学研究科 文化構想学専攻 教授

博士(哲学)。専門は、日本美術史。財団法人中山道広重美術館学芸員、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)芸術学部准教授、和歌山大学准教授、2017年大阪市立大学文学研究科教授を経て、2022年より現職。
特に江戸時代の終わりから明治期における媒体(主に版画、浮世絵版画など)に描かれた事物から、その時代の流行や世相などについて、また、浮世絵「研究」の国内外における齟齬と、浮世絵自体の画面が近代絵画に与えている影響についての研究にも取り組んでいる。『月岡芳年伝 幕末明治のはざまに』(2018年、中央公論美術出版、第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞作)、『明治浮世絵師列伝 』(2023年、中央公論美術出版 )など著書多数。

研究者詳細

※所属は掲載当時

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