現代アートは物理的な技術より“文脈”が重要
絵画などの芸術作品を見て、美しいと感じたり、作者の技術に感心したりすることがあると思います。しかし、現代アートはどうでしょう。どう理解すればよいのかわからないことがありませんか。
現代アートは、20世紀後半以降に制作されたもので、従来の芸術の枠組みにとらわれず、多様な表現やコンセプトを重視する傾向があります。その背景には、1917年にマルセル・デュシャンが発表した男性用小便器の作品《泉》のように、芸術の概念を問い直す試みがありました。最近では、壁に本物のバナナを貼り付けたものが話題になりました。ちなみに、このバナナの作品は、2024年秋のオークションで日本円にして9億円以上で落札されました。こうした作品の魅力や価値をどう考えればよいのでしょうか。
「現代アートは感覚だけで理解するのが難しい」とLin先生。「現代アートに限らず、何かを鑑賞するとき、最初は『きれい』『意外性がある』といった感覚から入ると思いますが、感覚が限界になると、作品につけられた解説やガイドに頼ることになります。現代アートは、そうした“文脈”への依存性が高いジャンルです」
通常、文脈(コンテクスト)は前後関係を指しますが、アートの場合は作品そのものに関することだけでなく、背景的な知識、時代性、歴史、社会問題なども含みます。
Lin先生によると、現代アートでは制作に必要な物理的な技術は重視されず、近年は特に文脈の構築に力を入れているそうです。先生がアートスクールの学生だった頃も、どんなに見た目にこだわった作品を提出しても「それで?」と言われるだけだったとか。どんなガラクタでも、現代アートの文脈においていかに価値があるか説明できれば高評価を得られるのが現代アートの世界です。
「今、現代アートで評価されるポイントとして、『美術史を踏まえているか』『社会問題に言及しているか』『アイデンティティやパーソナルな経験がバックボーンにあるか』などが挙げられます。これらのうちいずれかに該当しなければ評価されにくく、逆にアイデンティティがマイノリティだと特に評価されやすい傾向にあり、実際に美術館などでもマイノリティの制作者を積極的に起用するようになりました」
アイデンティティという文脈に価値を見出す時代
現代アートで制作者のアイデンティティに焦点が当てられるのは、マイノリティの権利や地位を上げようとする動きが背景にあります。しかし、肩書に過剰に注目するあまりそれがステレオタイプとなり、「○○人だから作品には文化的主張が反映されているはずだ」などと勝手な解釈をされる可能性もあるといいます。
制作者のアイデンティティという文脈は、作品そのものの価値にどれくらい影響を与えるものなのでしょうか。Lin先生は、著書『帰属の美学―板前の国籍は寿司の味を変えるか―』で、人が文脈にどう依存しているかについて「帰属的性質」という言葉を用いて論じました。
「『帰属的性質』とは、鑑賞者が特定のカテゴリを連想しうる何らかの性質のことで、例えば、寿司やアニメ、着物といえば日本、とか。帰属に焦点を当てたきっかけは、アメリカの寿司店でアルバイトをしていたときの経験からです。あるときメキシコ人の板前がクビになり、代わりに『それっぽく見える』からという理由で韓国人の板前が雇われました。つくり手の帰属的性質が寿司の価値を上げると店主は考えたのかもしれません」
アートでも、日本に関係する作品なら日本人が制作したものの方がより価値を感じられたり信用度が高まったり、逆に制作者が他国出身の人だったら「本当に日本のことをわかっているの?」とマイナスのバイアスがかかったりする可能性があります。
帰属的性質の捉え方は人によっても異なるとLin先生は話します。「日本に関する作品を見たとき、外国人なら表層的な部分で満足するかもしれません。一方で、日本人なら違和感を覚えることもあります。例えば、昔のハリウッド映画での日本人の描かれ方に違和感を持ったように。文化の内部者、その文化を深く知っている者だからこそ見える面があり、その逆もしかり。鑑賞者の文化的背景によって帰属的性質の認識が変わり、それによって作品の評価も変わります」
このことを知っていれば、「なぜこの作品は高評価/低評価なのか」「なぜ自分にはこの良さがわからないのか」といった疑問にも向き合えそうです。
アートだけでなく、食やファッションも同様に
多様性の推進やマイノリティを軽んじてきた反省、社会問題への抗議としてのアートの誕生などにより、アートはどんどん帰属的性質や文脈に依存するようになっていきました。文脈を共有していないと、その価値はわからなくなります。
「わざわざ文脈を読んで鑑賞するなんて面倒」と感じるかもしれませんが、実はそんなに難しいことではありません。私たちは、アートに限らず、生活のあらゆるシーンで知らず知らずのうちに文脈を読んでいるのです。
「例えば、ダメージジーンズ。それがカウンターカルチャーとして登場したファッションであるという文脈を共有していない世代には、『破れている』としか思えないでしょう。また、食文化にも文脈は大きく影響しています。競争の激しい飲食業界では個性を出すために、いろいろなコンセプトをつくってアピールしています」とLin先生は言及しました。
確かに、チョコレートのパンフレットにショコラティエが修行した場所や製法、現地でカカオ豆を手にした写真などが掲載されたり、高級レストランでは素材の産地やソースの説明などひと皿ひと皿の説明が長かったり。それは、まさに文脈による付加価値です。
「ある種の料理は、現代アートのようでおもしろいと感じています。まるで文脈を食べているみたいです。ただ、文脈に従って価値を享受するのも良いと思いますが、自分が文脈というバイアスの影響を受けている、『今、文脈を食べている』と意識した上で鑑賞するなり食事するなりした方が、納得して価値を享受できると思います」
最後に、現代アートをはじめ芸術作品をより理解して楽しむためには、どうすれば良いのか尋ねました。先生の答えは「ひとことで言うなら、美術史を知ること」。その理由を、高校時代の歴史の先生から聞いた話をもとに説明しました。その先生は、「歴史を学ぶのは重要だ。映画『タイタニック』のラストでヒロインが高価なネックレスを海に投げ入れるシーンがあるが、最初から映画を見ていないとその意味がわからない。最後だけ見ても何の感動もわかないだろう」と話したそうです。
「芸術作品も同じことです」とLin先生。「アートスクール時代、美術史の授業を受けてから美術館に行くと、『世界が変わった』とみんなが驚いたように話しました。現代になるにつれ感覚だけではわからないアートが増えてきます。でも、美術史を知ると変わります。変な絵にしか見えなかったピカソも、どういう時代背景のなかでその表現に至ったかを理解できるようになります。美術史を知り、文脈を理解することで、感覚だけに頼った鑑賞では得られなかった価値が見えてくるのです」
プロフィール

文学研究科 言語文化学専攻 准教授
文学研究科 言語文化学専攻 准教授
博士(文学)。ミシガン大学アート・デザイン学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、筑波大学芸術系助教を経て、2024年4月より現職に就き、東京大学教養学部非常勤講師を一時兼任。専門は美学・芸術学で、芸術における多文化主義、文化的盗用、バイアスの影響といった文化的な問題に焦点を当てた研究を展開。著書に『帰属の美学―板前の国籍は寿司の味を変えるか―』(2024年、春風社)がある。最近ではAIと芸術の関係を探る研究を進めており、共同研究「AI作品をめぐる美と芸術の評価に関する研究」の代表も務めている。
※所属は掲載当時