RESEARCH

研究概要

<ミッション>

 栄養学は、栄養失調やビタミンまたはミネラルの不足による多くの疾患が社会的背景にあった時代(~20世紀前半)では、三大栄養素(炭水化物・タンパク質・脂質)・ビタミン・ミネラルの欠乏症の原因を解明するために生化学的分析が行なわれてきました。これらの研究の過程におけるビタミンの発見や欠乏症に由来する疾患の治療や予防に関する情報の蓄積は、ヒトの健康維持と増進に貢献するとともに、生命科学を発展させてきました。その後、日本を含む先進国では栄養素の過剰摂取による肥満や2型糖尿病といった生活習慣に起因する疾病が社会的問題として発生してきました。日本は既に超高齢社会に突入し、今後も少子高齢の割合は進むと予想され、「飽食による疾病の予防」に加え、「高齢化社会での高齢者の健康の維持」も持続可能な少子超高齢社会を構築するために重要な課題になります。

 当研究グループでは、食物中の栄養素や非栄養素(例えばポリフェノールなど)だけでなく、それらの代謝物が、高等動物の恒常性の維持に寄与する生理機能を発揮するための分子機構を研究対象とすることで、生化学および分子生物学、細胞生物学の観点から、栄養素・非栄養素の生理的役割や栄養的疾病の発症機構を解明することを目的としています。  

<研究テーマ>

性差の分子栄養学

 男性では女性よりも男性ホルモン(アンドロゲン)が多い生体内環境となっていますが、男性ホルモンは20歳頃をピークとして加齢とともに減少します。一方、女性は50歳頃に迎える閉経後には一気に女性ホルモン(エストロゲン)の産生量が低下します。このように性差と年齢で大きく性ホルモンの量は異なります。しかし、これまで多くの食品成分の機能性は性差を問わず研究されています。我々は、

  • 食品成分の機能性が男性と女性で同じように有効であるのか?
  • 性ホルモン量の異なる若年期と老齢期で同じように有効であるのか?

という疑問を解明するため、男性ホルモンと女性ホルモンの細胞内でのシグナル伝達機構を研究し、これらのシグナル伝達機構に及ぼす食品成分の影響を検討しています。

1. 男性(♂)ホルモン(アンドロゲン)の生理作用と細胞内シグナル伝達機構

  • 前立腺疾患と男性ホルモン
  • 2型糖尿病・メタボリックリンドロームと男性ホルモン

 アンドロゲン(テストステロン、ジヒドロテストステロン)は男性への性分化、二次性徴、精子形成、筋肉の増強、脱毛、正常な前立腺の成熟や前立腺がんの発生に関与する遺伝子の発現を調節するステロイドホルモンです。アンドロゲンは転写因子であるアンドロゲン受容体(AR)に結合すると、標的遺伝子上に存在するアンドロゲン応答配列に結合し、標的遺伝子の発現を活性化する転写因子として機能します。この際、転写を活性化する転写共役活性化因子(コアクチベーター)あるいは転写を抑制する転写共役抑制因子(コリプレッサー)が基本転写因子群とともに動員され、協同的に作用します。転写共役因子は組織特異的な発現をし、またARシグナル伝達も組織特異的なアンドロゲン応答遺伝子を活性化します。私たちは各組織におけるARシグナル伝達機構を研究し、食品成分(レスベラトロールのようなポリフェノール)によるARシグナル伝達機構に及ぼす影響を検討しています。

 近年、アンドロゲンの減少によって生じるLOH症候群(late-onset hypogonadism、別名:男性更年期障害)が、QOLを著しく低下させ、メタボリックシンドロームや2型糖尿病を発症させることが明らかになってきています。私たちは、アンドロゲンが腸内細菌叢に影響し、高脂肪食摂取と相まって様々な代謝疾患を引き起こし、生命予後まで悪化させることを見出しました(図1)。現在、なぜアンドロゲンが腸内細菌叢に影響するのか解析を行っています。

図1


アンドロゲン腸内細菌25

 

 アンドロゲンは膵臓β細胞やその前駆細胞で機能し、インスリン分泌をスムーズに行うことに貢献し、2型糖尿病を予防する作用を持つことを見出してきました。高血糖状態はテストステロン合成を低下させ、膵臓β細胞のアンドロゲン受容体(AR)を減少させます。これは膵臓β細胞でのアンドロゲン作用を低下させインスリン分泌不足による血糖上昇が促進するという負のスパイラルを生じさせてしまいます。私達は、2型糖尿病の予防を目指して、膵臓β細胞に直接作用あるいは腸管でインクレチンホルモン(インスリン分泌を促進するホルモン)の分泌作用によるインスリン分泌促進作用を持つ食品成分を見出し、その直接的な作用標的となるタンパク質(Gタンパク質共役型受容体, GPCR)についても明らかにしてきました(図2)。現在、食に由来するシグナル伝達や代謝系とアンドロゲンの作用とのクロストークに関して研究を行っています。

図2

beta細胞アンドロゲン_食品成分25

  • 体温調節と男性ホルモン

 深部体温には性差があり、性周期で最も体温が低い時期の女性の体温よりも男性の体温の方が低いことが知られています。私達は、去勢マウスやアンドロゲン受容体KOマウスで体温が上昇することから、アンドロゲンが体温の性差形成に影響することを見出しました。さらに、褐色脂肪組織における体温産生がアンドロゲンによって抑制されるメカニズムを明らかにしました(図3)。現在、熱産生シグナリングとアンドロゲンシグナリングのクロストークに関して、分子レベルでの解析を行っています。さらに、体を温める食品成分についても研究を展開しています。

図3

褐色脂肪におけるAR機能25

2. 女性(♀)ホルモン(エストロゲン)の細胞内シグナル伝達機構 

  • 筋肉と女性ホルモン

 エストロゲン(17β-エストラジオール)は生殖系心血管系中枢神経系骨格系において正常細胞の増殖や分化だけでなく骨粗鬆症や生殖系のがんのよなホルモンに依存した病気に関与する遺伝子の発現を調節しますエストロゲン受容体シグナルはエストロゲンと結合したエストロゲン受容体ER標的遺伝子のエストロゲン応答配列に結合して受容体型転写因子としてエストロゲン応答遺伝子の転写を活性化しますERには高いホモロジーを示す2つのアイソフォーム(ERα、ERβ)が存在していますが、ERαとERβは異なる遺伝子の発現を調節するだけでなく、同じ遺伝子の発現を拮抗的にも調節します。骨格筋にはERαとERβが発現していますが、それらの機能は不明です。

 骨格筋を構成する筋線維は、前駆細胞である筋芽細胞が融合し、多核化した筋菅細胞へと分化する過程を経て形成されます。私たちはエストロゲンがERαを介して脱ユビキチン化酵素のubiquitin-specific peptidase 19USP19)の発現を亢進し、筋芽細胞から筋菅細胞への分化を抑制すること、そのエストロゲンの筋分化抑制作用をERβ選択的アゴニストが解除することを見いだしました。さらにERaを介したUSP19の発現を大豆イソフラボンのダイゼインがERβに作用して抑制することで、メスマウスの骨格筋量を増加させることを見出しました(図4)

図4

スライド1_50

骨格筋の維持と増進

 寝たきりにならず、自立した健全な生涯を送るためには、介護を不要とする身体的基盤を築く必要があります。骨格筋は、運動機能だけでなく、糖代謝機能にとっても重要な役割を果たす組織です。つまり骨格筋量の維持・増進が自力で生活するための鍵となります。基礎代謝レベルは筋量に依存しているので、基礎代謝レベルの低い高齢者の健康状態を改善するために、筋量の維持・増進に関わる機能を持つ食物成分は重要です。さらに現代人のライフスタイルはデスクワークを主体とする座りがちな生活です。ポストコロナ時代は在宅勤務が主体となり、さらに座りがちな生活が加速する可能性があります。座りがちな生活、つまり運動不足の生活は筋萎縮を誘発します。そこで我々は以下の研究テーマに取り組んでいます。

  • 筋萎縮の分子機構と筋萎縮予防に関わる食品成分の探索

     寝たきりモデルマウスでは筋萎縮関連遺伝子の発現が増加し、筋萎縮が誘発されます。カロテノイドの一種であるβ-カロテンを摂取させた寝たきりモデルマウスでは、筋萎縮関連遺伝子の発現が阻害され、筋萎縮が抑制されました(図5)。

    図5

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    • 筋肥大を促進する食品成分の探索

     ビタミンA前駆体であるをβ-カロテン摂取したマウスの骨格筋でビタミンA受容体(レチノイン酸受容体)依存的にトランスグルタミナーゼ2(TG2)の発現が増加し、分泌されたTG2がGタンパク質共役受容体の一種であるGPR56を介してmTORシグナルを活性化して筋肥大を誘発しました(図6)。GPR56は運動によって発現が増加します。運動によるTG2とGPR56の発現調節機構を中心に、さらに解析しています。

    図6

    スライド3_25

    • 加齢による筋萎縮の抑制に関わる食品成分(1):カロテノイド

     老化促進モデルマウス(SAMP1)の骨格筋では筋萎縮が生じます。SAMP1ではオートファジー関連因子p62の蓄積が起こっているが、カロテノイドの一種であるβ-クリプトキサンチンを摂取させたところ、p62の蓄積が抑制され、筋萎縮が緩和されました。β-クリプトキサンチンが筋萎縮を抑制するその分子機構を解析しています。

    • カロテノイドとヒラメ筋

     カロテノイドのβ-カロテンとβ-クリプトキサンチンは速筋よりも遅筋(ヒラメ筋)において筋量・筋力に有効性が示された。カロテノイドトランスポーターCD36の発現レベルが速筋よりも遅筋で高く、その分子機構に遅筋で発現レベルの高いHIF-1aが関与することを突き止めました(図7)。

    図7

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    • デスクワークモデルマウスでの筋萎縮抑制に関わる食品成分

     一級脂肪酸アミド(PFAM)であるオレアミドは、生体内で合成される分子としてだけでなく、食品成分にも含まれる分子として位置付けられます。デスクワークモデルマウスでは筋萎縮が起こりますが、オレアミドを摂取したデスクワークモデルマウスの骨格筋ではタンパク質合成シグナルが活性化され、筋萎縮が抑制されました(図8)。またデスクワークモデルマウスでは肥満が誘発されましたが、オレアミド摂取が肥満を抑制するとともに、脂肪細胞における炎症関連因子の発現レベルも抑制しました(図9)。さらに経口投与されたオレアミドは小腸上皮細胞においてFAAH(脂肪酸アミド加水分解酵素)により分解されることが示唆され、その分解を回避したオレアミドが主に門脈を経由して体内循環に至ることを明らかにしました(図10)。現在、筋線維におけるオレアミドによるタンパク質合成の分子機構と脂肪組織におけるオレアミドの抗肥満効果の分子機構を解析中です。

    図8

    スライド5_25

    図9

    スライド6_25

    図10

    スライド7_25

    • 加齢による筋萎縮の抑制に関わる食品成分(2):フラボノイド

     黒ショウガ(Kaempferia parviflora)には少なくとも10種のメトキシフラボン類縁体が存在し、5,7-dimethoxyflavone(DMF)類縁体と5-hydroxy-7-methoxyflavone(HMF)類縁体の2群に分けられます。マウス由来C2C12筋芽細胞を分化させた筋管細胞に対してHMF類縁体はは肥大を誘発しましたが、DMF類縁体は影響がありませんでした(図11)。さらに老化促進モデルマウス(SAMP1)の骨格筋でおこる筋萎縮をHMF類縁体は抑制しました。HMF類縁体が作用する標的分子を同定し、分子機構を明らかにしています。

    図11

    スライド8_50

    • マイオカインの機能解析と食品成分による発現調節

     骨格筋の機能の一つに生理活性因子(マイオカイン)を分泌する組織としての役割があります(図12)。上記のTG2は分泌されたのち、骨格筋に作用して筋肥大を誘発します。一方で、骨格筋から分泌されたマイオカインは血流を介して他の組織に作用する可能性を有しています。TG2以外のマイオカインを探索するとともに、マイオカインの機能と食品成分による発現調節機構を解析する研究をしています。

    図12

    スライド9_25

    酸素の分子栄養学

     三大栄養素、ビタミン、ミネラルのような必須栄養素以外で欠乏すると生命が危機的な状況に陥るものとして水と酸素があります。これらは努力して摂取する必要性がないことから栄養素としてのカテゴリーに分類されていませんが、特に酸素の欠乏はこれら栄養素の欠乏と比べてもヒトに急激な代謝的変化をもたらします。私たちの身体は、悪性貧血、心・肺疾患、睡眠時無呼吸症候群のような病気のときだけでなく、登山、過度の急激な運動(特に無酸素運動)、近年スポーツ選手に取り入れられている高地トレーニングによっても動脈血中酸素分圧の低下する酸素欠乏状態(低酸素症)に曝されます。つまり低酸素状態は病気の人だけでなく、健常時においても起こることと言えます。私たちは酸素も栄養素のひとつでは?との疑問から酸素が欠乏した時の生体の応答機構を研究しています。  

    代謝疾患(2型糖尿病やメタボリックシンドローム)の予防

     2型糖尿病は膵臓β細胞からのインスリン分泌と末梢組織(筋肉・肝臓・脂肪組織)でのインスリン感受性のバランスが崩壊することによって発症する疾患で、様々な合併症を伴ってQOLを低下させます。肥満との関係がよく問題視されますが、肥満を伴わない場合は、膵臓β細胞からのインスリン分泌機能低下が生じています。そして日本人では、肥満を伴わないで2型糖尿病を発症するケースが多いのです。メタボリックシンドロームは腹部肥満を伴って、高血糖、高血圧、高脂血症を引き起こします。これらの代謝疾患はともに心疾患や脳血管疾患といった動脈硬化症のリスクを上昇させます。そこで、当グループでは、代謝疾患の予防を目的として、以下の課題に取り組んでいます。

    •  膵臓β細胞機能に関する研究

     膵臓β細胞は細胞ストレスに弱い細胞で、過栄養状態では細胞ストレスにさらされることで、細胞死やインスリン分泌障害が生じます。私たちは、膵臓β細胞ストレス障害を予防することを目的として、食品成分や食事テクスチャーの影響について研究を行っています。これまでに、大豆のダイゼインから腸内細菌によって産生されるS-エクオールがインクレチンホルモン様の作用をもち膵臓β細胞機能を向上させること(図13)、ウコンに含まれるクルクミンの標的タンパク質GPR55およびGPR97を発見し、GPR55を介してクルクミンがインクレチンホルモンを分泌させることを明らかにしました(図14)。さらに、上記目的を達成するために、細胞ストレス障害が生じるメカニズムについても関心を持って研究しています。

    図13

    エクオールまとめ25

    図14

    GPCRを介したクルクミンの2型糖尿病予防25_1

    • メタボリックシンドロームの予防に関する研究

     近年、腹部肥満の原因である内臓脂肪の蓄積には、腸内細菌が関係することが明らかになってきました。私たちは、食品成分が直接脂肪細胞に働きかける経路と腸内細菌叢の変化を介した間接的な経路をどのように利用して内臓脂肪量を調節するのか、そのメカニズムについて研究しています。フルクトースの過剰摂取による影響についても注目して検討しています。