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本制度は、優れた研究活動や教育活動を行い、意欲的に男女共同参画推進に貢献している女性研究者を顕彰することによって、継続的な研究活動を鼓舞し、次世代の優秀な女性研究者の養成を目的としています。
本表彰制度は本学の卒業生である岡村千恵子さんのご寄付により設立されました。岡村さんは本学の前身である大阪商科大学の学部を卒業された本学の大先輩です。(昭和25年卒)
当時の大阪商科大学(昭和3年~28年)は、男女共学になったばかりで、岡村さんは当時には稀少な女子学生でした。支援室では岡村さんをお訪ねし、当時の学生生活や女性研究者への思いを伺ってきました。
※現大阪公立大学
恥ずかしくておもて歩かれへんわ、わずかしか出してないのに、ありがとう。
ないよ。はじめてなんちゃいます?(1)入学式で、学長の恒藤恭先生(2)に学長室よばれて、女のひとふたりで(3)。学長室なんか入ったんはじめて。気ごころ許して話せてよかったなあ。立派な先生とお話しできることなんかなかったから。昭和25年3月25日に卒業したの。(日付は)はっきり覚えているよ。
こんなん見るのはじめてよ。桜ノ宮のボート祭に行ったんは覚えてます。あ、橋の上で写したわ。長堀の橋のうえで写したんやと思いますわ。私、覚えてるわ。
「商科大学卒業生 道仁校舎時代(長堀橋上)昭和23年」『大阪市立大学の百年 1880~1980』より
夏休みが過ぎて9月1日になるでしょう。みんなそしたら角帽被ってな、黒の制服着てな、皮の鞄を脇へ抱っこして。(その風景を見て、毎年)秋が来たんやなあと思ったよ。いまごろそんな学生おらへんでしょう。私はセーラー服ではなかったけど、黒っぽいカッコしてたのよ。海軍兵学校とか 陸軍士官学校の学生も多かった。当時、商大へ流れて来ててね。みんなその服装してたから、「あれは海兵かー、陸軍かー」とか、わかったの。でも冬になってもオーバーがないわけよ。食べるもんもあらへんしな、よう学校行ってたなあと思う。金融論とか経済政策史とか、教授からお話聞くでしょう。それでノートを写して(同級生の間で)貸してあげたり。でもノートは(なかなか)あらへんわ。終戦後やからね、何もないときやったのよ。
商大生の街歩きの様子 「今日も心ぶら商大生(昭和27年)」『大阪市立大学の百年 1880~1980』より
ノートは闇市で売ってるのよ。買うてきてな、こまめにこまめに(使う)。小学校の教室をてんてんとしたの。GHQがはいっていたからね。学生の間は一度も(杉本キャンパスに)行ってないよ。一番最初に門をくぐったのは、同窓会やね。杉本町の学舎一部返還と書かれているけど覚えてないんやもん(4)。
思い出したくもないよな、終戦後やし。でも言うて頂いたらちょっとは嬉しい。卒業論文書くときもね、なにもないわけよ。雑誌がないもん。私が「卒業論文書くのに、図書室もなんもあらへん。でも書かなあかんて言われてるし、どないしたらいいかわからへんし、そんなんはじめてやし、困ってるねん」て言うてたら、西尾さん(5)が「京大の図書室行って、社会政策の本借りてきてあげるわ」って言って(京大の図書館に)連れて行ってくれて。2,3冊借りてくれた。わたしあの本がなかったら卒業できひんかった。麻雀にも連れてってくれたの。麻雀知らんねんけど、予約してる言うから。それで「はよ鳴け鳴け」言うんやけど、「どないして泣くのん」言うて。「ちー」とか「まー」とか、わたしそんなんしらんもんね。教えてあげるから、言うて、なんかかんか。今考えたらなんも知らんのに。友達はありがたいね、まさか市長になるとは思わなかった。西尾さんには感謝してるよわたし。
全部父が勧めてくれたの。(市大の)卒業生名簿に名前載ってるやんか。父のおかげ。(父は)何か言うたら、「ちえこちえこ、学校だけは行っとけよ」言うてな。女学校いったでしょ、大阪(女子)経済専門学校(6)に3年行ったでしょ、(それから)大阪商大入ったでしょ、ぜんぶ父が勧めてくれたの。「いや(だ)いや(だ)」言うててんけどな。「学費のことは心配するな」言うて。公(おおやけ)やからそんな高くなかったと思うわ、せやけどなんぼか知らない。「心配せんでもええで、ちゃんとしたげるから」言うてくれてな。妹がもう一人おるんやけど、(私のことも)大事に大事にしてくれた。大学行かへんほうがいいのに、「行きなさい行きなさい」言うて勧めてくれたからな。卒業させてくれたもん。
同窓会で呼ばれて、(大阪市大は)きれいな学校やってんなーって思った大それたこと言えないけどね、これからも研究頑張ってくださいね何にもお役にたてることはないけども、元気に頑張ってくださいね。
いややー。泣いてるしなあ。と仰りながら、岡村さんはにっこり笑ってお写真を撮ってくださいました。岡村さんとのインタビューはあっという間に1時間も過ぎてしまいました。言葉選びもお上手で、例えば所有されている土地のことを「猫の片目ほどの土地よ、ひたいほどもないねんで」と仰られたときには、みなで笑ってしまいました。一方で、同級生の方との思い出をお話しして下さる際には涙を浮かべておられました。本学女性研究者の大先輩は、ユーモアたっぷりのとても素敵な方でした。
大阪市立大学 教育後援会大阪市立大学 大学史資料室
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