疲労のメカニズム

 疲労は、私たちに休息の必要性を知らしめ、過剰活動により疲弊してしまうのを防御するための重要な生体警報(アラーム)の一つです。痛み、発熱、疲労といった三大生体アラーム機構ですが、痛み、発熱の分子神経メカニズムがかなり解明されているのに対し、疲労の分子神経メカニズムに関しては、ほとんど断片的な研究しかありませんでした。
 研究の上では、「過度の肉体的および精神的活動によって生じる作業能率や作業効率が統計的有意に低下した状態」を疲労と定義していますが、このように定義すれば、疲労が客観的に計測できることになるからです。疲労は、ストレスが重なって起こる作業能率低下状態であり、ストレスが起因で疲労はその結果の一つの状態です。
 また、医療の世界では、疲労は未病の最たるものと考えられ、回復しない疲労は、様々な疾病へと移行する予知因子と捉えられています。一方、多数の病気による全身倦怠感は、症候学では大きな要素で、一般病院などのプライマリーケアを来訪する患者の2番目に多い主訴(1番の「痛み」とは僅差)
であるので、これを医学的に解明し何らかの医療的措置を施すことは非常に重要なことです。
 ただ、疲労の研究は、精神的・肉体的多因子による複合的な原因で起こっており、この解明には様々なモデルシステムを統合的に研究する必要がありました。私たちは、これまで、動物モデルにしても、運動性疲労、感染性(免疫性)疲労、精神性(パニック)疲労、日焼け・暑熱疲労、断眠過労死など複数のモデルにおける「自発活動量低下」指標を中心に疲労を評価し、その中で、様々な疲労負荷により変化する多数の共通因子を見出す戦略で研究を行ってきました。

 共同研究者の倉恒・木谷らにより、1990年に日本で初めての慢性疲労症候群(Chronic Fatigue Syndrome、以下、CFSと記載)患者が大阪大学医学部微生物病研究所附属病院で発見、診断を受け、その後、1992年からCFS患者さんたちの脳内異常を検討するために、当時、スウエーデンと国際共同研究を進めることに決定していたポジトロンエミッショントモグラフィー(PET)研究の枠組みの中で疲労の脳科学研究を開始しました。CFSのような病的疲労の研究を進めていくと、私たちの生理的疲労のメカニズムについても、当時は何もわかっていないことに気づき、疲労の研究、とくに、疲労の脳科学、神経-免疫-内分泌相関研究に歩を進め、以下の研究プロジェクトにおいて、脳機能・形態・分子イメージング・バイオマーカー・コホート研究より疲労倦怠・意欲低下の分子・脳病態解明につながる多くの成果を挙げてきました。これらの研究では、国内外の30にも及ぶ大学・研究機関との共同研究を推進し、3回にわたる国際疲労学会の主催や日本疲労学会の設立などを行いました。

      • 文部科学省科学技術振興調整費による生活者ニーズ対応研究「疲労および疲労感の分子・神経メカニズムとその防御に関する研究」(平成11-16年度)
      • 日本学術振興会21世紀COEプログラム「疲労克服研究教育拠点の形成」(平成16-20年度)
      • 科学技術振興機構・社会技術研究『脳科学と教育』公募研究「非侵襲的脳機能計測を用いた意欲の脳内機序と学習効率に関するコホート研究」(平成16-21年度)

これらの研究の中で特に、以下のことが大きな成果として反響を呼び、国内外で大きな社会的・経済的影響を与えています。 

      • 疲労の分子神経メカニズムの統合的解明に道筋を与えてきたこと
      • 様々な要因による疲労のバイオマーカーを抽出し疲労の客観的計測を進めてきたこと
      • 慢性疲労症候群、人工透析患者などの疲労倦怠の臨床研究を進める疲労クリニカルセンターや疲労計測ラボを設けて疲労臨床の推進に努めてきたこと
      • これらの環境を最大限に利用し、抗疲労・癒し医薬品・食品・生活用品・生活空間環境開発プロジェクトを立ち上げ推進してきたこと
      • 子供の慢性疲労と学習意欲のコホート研究により学習意欲低下児の生活改善・教育向上の糸口を見いだしたこと

 
 疲労は、運動性疲労であれ精神作業性疲労であれ、筋肉細胞、神経細胞の過活動による生体酸化、すなわち、必要な酸素供給-呼吸に付随して産生される酸素ラジカル(活性酸素)の量が過剰なため、生体還元系の処理速度が間に合わず、重要なタンパクや脂質などが酸化されます。それによって、細胞そのものや重要な細胞内オルガネラ(細胞の中の核やミトコンドリアなどの小器官)や部品が傷み、その傷害を感知した免疫系細胞が免疫サイトカインというシグナルを脳神経系・内分泌系などに送り、修復を試みます。この際に、修復エネルギーが十分でないと、疲労が長引きます。このようなメカニズム(下図参照)は多分、かなり認知されやすいものですが、詳細なシグナルが脳のどの部位にどのように伝わっているか、まだ全貌は明らかになっていません。
 ヒトの「疲労の脳科学研究」については、fMRI、PET、脳磁図などの脳機能イメージングや分子イメージング等、非~低侵襲的研究手法を用いた私たちの研究が世界をリードしています(文献1)。とくに、CFSと診断される6ヶ月以上継続的・断続的に日常生活に支障をきたすような激疲労(全身倦怠感)を訴える症候群では、脳内の神経炎症、前頭葉の可逆性萎縮、易疲労性の神経基盤、脳局所血流量・脳局所アセチルカルニチン代謝異常、セロトニン神経系異常などが明らかになっています。また、健常者の疲労感の脳担当部位についても、眼窩前頭野という前頭葉下部の部位が判明しています。
 疲労のバイオマーカーとして、様々な生理学的・生化学的・免疫学的因子がありますが、とくに、これまで言われてきた乳酸は、疲労原因物質でなく、疲労回復に役立つ重要な分子であること、セロトニン過剰仮説もむしろ、セロトニン系疲弊仮説が相応しいことがわかってきました(文献1)。

健康脆弱化・疲労共通のコアメカニズム_2

参考文献


            1. 渡辺恭良,水野敬 著  「おもしろサイエンス 疲労と回復の科学」, 日刊工業新聞社, 2018年
            2. 渡辺恭良 編 「最新・疲労の科学~日本発:抗疲労・抗過労への提言」別冊「医学のあゆみ」, 医歯薬出版株式会社, 2010年
            3. Fatigue Science for Human Health (Watanabe Y. et al. eds.), Springer, 2008.
            4. 渡辺 恭良, 水野 敬, 浦上 浩 著 「おいしく食べて疲れをとる」JAPANESE FOOD「ああ疲れた」にこの1冊!, 丸善出版, 2016年